2013年に過労死したNHKの佐戸未和記者(当時31)の遺族が、2月17日NHKで講演をした。2017年にNHKが過労死を公表して以来、初めてのことだ。
なぜ今なのか。遺族は何を訴え、NHKはどう答えたのか。長年、NHKで映像制作者として働いている筆者が、4年以上にわたり遺族とNHKに向き合い、見えてきたこととは―ー。
過労死発表後、実現に4年半かかった”約束”
東京の首都圏放送センターに勤務していた佐戸未和記者と知人が連絡を取れなくなったのは、参院選の取材を終えた3日後。不審に思い駆けつけてきた婚約者によって自宅で遺体となって発見された。
翌年、渋谷労基署が過労死と認定し、NHKは臨検を受けた。しかし、職員の多くはNHKで過労死が起きていたという事実を知らされず、遺族の声を受けNHKが外部公表したのは4年後のことだった。
こうした経緯について昨年7月、筆者は東洋経済オンラインで映画『未和 NHK記者の死が問いかけるもの』と記事を5回に分けて連載した。
過労死公表直後の2017年の職員集会で、NHK報道局の幹部はこう語っていた。
「場合によっては両親にまた来ていただいて、話をしたりする機会を作ったりすることも必要じゃないかと思っています」(連載第4回:『NHK幹部が語った「31歳記者過労死」非公表の裏側』参照)
2017年に過労死が公表される直前、両親は一度NHKに招かれ、幹部や管理職を前に話をしたことがある。その頃、実家を弔問したNHKの担当者は、新人職員の研修などの機会に再び両親に話をしてほしいと伝えていた。娘のことを広く職員に伝えられるならと、両親は実現に期待を抱いていたものの、その約束は果たされないまま、公表からさらに4年以上が過ぎた。
そうした中、今なぜこのタイミングでNHK職員への講演が実現したのか。
両親は昨年来、当時NHKが行った調査内容の開示を求めてきた。娘の死の背景に何があったのか詳細を知りたいこと、そもそも「生きて救えたのではないか」との思いがあるからだ。
昨年10月、遺族担当の幹部であるNHK首都圏局の局長が実家を訪ねて、「調査報告書はなかった」、つまりまとまった資料が存在しないと回答した。当時調査はされたのだが、メモ程度のものはあっても、きちんとまとまった調査報告書として残っていないという。
そして、私たちにできることは両親に職員の前で話してもらうことだと考えた、と突然持ちかけた。父の守さんは、「やっと実現するのか」と肯定的に受け止めた。その一方、報告書不在の連絡と抱き合わせで、今回の講演が提案されたことに複雑な思いを抱いたという。
62人のNHK管理職と向き合った遺族
2月17日午後1時前、雲が広がり気温7度の風が吹く東京渋谷区。立替工事中のNHK放送センター、正面玄関から遺族は入った。入館ゲートを通ったのは順に、佐戸記者の父、守さん(70)、母の恵美子さん(72)、妹のめぐみさん(37)だった。
出迎えた職員に案内されたのは西館4階にある474会議室だった。NHKはここをメイン会場として首都圏局がある北館、総務機能などがある東館、本館に分散会場を設けオンラインで結んだ。参加者は首都圏局の管理職62名で、474会議室にはそのうち39名がいた。
午後1時10分、首都圏局長が開会挨拶をした。
「これから過労死の教訓を今につなげるための勉強会を実施します。首都圏局の前身、首都圏放送センターで記者として働いていた佐戸未和さんは都庁の担当として、都議会選挙、参議院選挙の報道に携わり、投開票日に当確作業を行った3日後、自宅で亡くなりました」
NHKとしての受け止めについては以下のように述べた。
「過労死の認定後、報道局で働き方プロジェクトが設置され、記者だけでなくカメラマンや編集、ディレクターの働き方の見直しが進みました。私自身も労担や専任部長の立場で働き方改革に携わりましたが、長時間労働を当たり前にしてはいけないという意識が急速に浸透したことを覚えています」
「社会の木鐸であるNHKで働く職員、管理職の一人として、佐戸未和さんのご家族がどんな思いで過ごしていらっしゃったのかお聞きし、1人ひとりが何をできるか、考える時間としたいと思います」
「時が経つほどになくしたものの大きさに愕然となる」
母の恵美子さんがマイクを握った。娘の佐戸未和記者が当時愛用していた黒色のスーツを着て、職員たちと向き合った。
「未和という名前は未来に平和を、との願いをこめてつけました。長崎で生まれた未和はすくすくと順調に育ちました。『お母さんと一緒』が長崎から放映されるとの募集があり、そこに出させてもらったのが最初のNHKとの縁でした」
NHKに採用された時には親子で大喜びするなど、NHKに強い愛着を持ってきたが、その9年後、恵美子さんは娘の死という悲痛な現実を突きつけられることになった。
「戦争でも病気でもなく、突然断たれた未和の命。さよならのない別れ。時が経てば経つほどに、なくしたもののあまりの大きさに愕然となります」
「年をとったら感情も薄らぐ、悲しみも和らぐと思っていました。しかし、子を亡くした親に時間薬はない、と実感しております」
「私にはこれといった趣味や特技もなく、結婚して公私ともにますます忙しくなる未和の手伝いをする。やがて生まれてくる孫の面倒を見る。これがたった一つの望みでした。もう、その望みが叶うこともありません」
「未和の過労死を検証番組のような形で伝えてほしい」
娘の突然の死に直面した母の恵美子さんは当時、心を病み入院した。父の守さんは、そのときの妻のことや、家族に打ちよせた過酷な状況について、NHKの管理職たちにこう語りかけた。
「夫婦ともども未和を失った喪失感と悲しみに、毎日のたうち回るような日が続きました。妻は強度のうつ状態に落ちいり、未和の後を追って死ぬことばかり口にし、家族で妻を見張るような毎日でした。
家庭が修羅場でした。子供を家から出して別居することになりました。未和の死によって家族が空中分解して、そのまま家族が崩壊してゆくような、そんな辛い毎日を過ごしていました」
講演の中で守さんは、佐戸記者が亡くなった前後の状況をまとめた資料を配布した。資料の概要は以下の通りだった。
当時、監察医が作成した死体検案書にはこう記されている。
〈 死亡したとき 平成25年7月24日頃 〉
発見が遅れたことなどで亡くなった時間はおろか、日付も正確にはわからない、との判定だった。つまり、24日の午後や夜には、生きて救える状態だったかもしれないというわけだ。職員たちに向かって守さんは、娘をもっと早く発見できたのではないか、と問うた。
「NHKが未和の異変に気付くチャンスは3回ほどあったと思います。なぜ誰も消息を確認しようとしなかったのか。このときの対応をNHKはどう検証したのか、私たちは知りたいと思います」
そして、NHKへの要望についてこう伝えた。
「私たちの願いは放送や番組を通じて未和の過労死を社会のために役立ててほしい、ということです。それが記者としてNHKで働き、死んでいった未和への供養になると考えています」
「NHKでは未和の過労死に関わる内部調査報告書が作成されていません。不祥事とは思っていない、と言われた幹部の方もいます。だから、誰も責任を負わず、誰一人処分も受けずに済んでいるのではないでしょうか」
「過労死は日本社会の根深い問題です。いまも毎年多くの犠牲者が出ています。社会の木鐸とも言えるNHKは局内で事実を調査し、検証番組のような形で社会に伝えて、過労死の撲滅に向けて警鐘を鳴らしてゆく。そういう役割と責任があるはずです」
佐戸記者の2歳年下の妹めぐみさんは、一昨年の映画『未和』の試写会、昨年のNHK労組「日放労」の勉強会に続いて職員の前で話した。この日は時に涙声になりながら、こう語りかけた。
「私にとって姉は本当に尊敬できて、心から愛していた存在でした。亡くなったと聞いたときに頭の中が真っ白になる瞬間だとか、警察で対面した時の状況は昨日のことのように思い出します」
「同じチームのメンバーが連絡が取れないという状況になったときに、誰かが家に見に行ったりとか、親に連絡を取ったり、そういったことが当時なぜされなかったのか、という疑問は消えません。どういう組織だったらそんなことが起こってしまうのか、きちんと検証していただくべきと、最近ますます考えるようになりました」
「NHKという組織はどこかおかしい」と語る職員
1時間にわたる遺族の話の後、5人の職員が発言した。同じ組織に所属する職員としての率直な訴えがそこにはあった。
・佐戸記者と一緒に都庁クラブで働いた同僚記者
「2013年、西新宿の都庁に私もいました。当時、極めてしんどい取材環境のなかで突っ走っていたと思っています。佐戸さんを、仲間を亡くしたことを今も心に留めていますし、なぜ佐戸さんが亡くなったのか、ずっと考えながら仕事をしています」
・佐戸記者と面識があった先輩記者
「佐戸さんは社会の底辺で生きる人に寄り添う取材をする記者だったと思います。彼女と一緒に写っている写真を、今も7月の命日のときに見返しています。
きょう話を聞いてですね、確かに働き方改革は実現しているんですけれども、魂は入ってなかったんじゃないかというふうに思います。ご遺族の苦しみを分かちあう作業を、遅きに失しているのかもしれませんが今からでも、私はぜひさせていただきたい」
・首都圏局の職員
「きょうお話を聞いて、私が思っていることとはずいぶん違う思いをされてきたんだな、その違いはどこから発生するのかということを考えておりました。とにかく話を聞いて思ったのは、NHKという組織はやっぱり、どこかおかしいんだろうな、と」
その後、遺族との質疑応答や職員同士のディスカッションなどはなかった。司会役の放送部長と局長がまとめの話をして、開始から1時間40分ほどで閉会した。
東京五輪問題とのあまりに違う対応
最近、NHKのある対応が広く報じられた。『BS1スペシャル 河瀬直美が見つめた東京五輪』の中で、五輪反対デモに関して不正確なテロップがあった問題だ。NHKは問題発覚から1月ほどで14ページにわたる調査報告書を作成した。職員6名の懲戒処分とあわせてホームページで即日公開した。
政府が推進した国家的行事にまつわる問題への対応の早さとは裏腹に、佐戸記者の過労死問題については、いまだに調査報告書が作られる気配はない。
佐戸記者の父・守さんは、娘についての調査報告書がなかったという事実を受け止めきれずにいる。尊い人命が失われたことを、軽く扱っているように感じたからだ。
当時の上司らが責任を問われず誰一人処分を受けていないこと、電通の過労死事件については今でも特集を組んでいるのに局内の過労死については検証番組を作らないこと。これらについても納得がいかないままだ。
そして、NHKでの講演を終えてこう話す。
「今回の勉強会を、遺族の憤りをガス抜きするためのものとして扱ってほしくはありません。自分の職場で起きた問題についてきちんと検証しようと、職員の中からさらに声が上がってくることを期待しています」
2月7日、筆者は調査報告書を作る予定の有無やNHK前田会長の認識について、NHKに質問を送った。勉強会の翌日、NHK広報局から以下のような回答があった。
「公共放送を支える大切な仲間を失うようなことは二度と繰り返してはならないことだと考えています。関係者への聞き取りなどを踏まえ、組織として記者の労務管理に不十分なところがあったと認識し、働く人の健康を最優先にして、長時間労働に頼らない組織風土づくりや業務改革に取り組んできました。 佐戸未和さんの過労死を決して忘れず、職員が健やかにいきいきと活躍できる職場づくりを進めていきます」
詳しい経緯を映画とともに紹介した連載: 「未和 NHK記者の死が問いかけるもの」
連載1回目:31歳NHK女性記者「過労死」8年苦しむ遺族の証言
連載2回目:過労死「31歳NHK記者」を追いつめた選挙取材の闇
連載3回目:31歳NHK女性記者が過労死「空白の2日間」の謎
連載4回目:NHK幹部が語った「31歳記者過労死」非公表の裏側
連載5回目:女性記者過労死後、NHKで進む「働き方改革」の真実
尾崎 孝史:映像制作者、写真家