「初仕事お疲れさん。晩飯でも行こか」23歳の新人刑事を苦しめた先輩たちのヤバすぎる通過儀礼 から続く
ガソリン入りのポリタンクを持った犯人と対峙した“リーゼント刑事”こと秋山博康氏。火をつけた犯人によって、炎と黒煙に囲まれ逃げ場を失ってしまう。
長い警察人生の中で、特に印象深かった「人質立てこもり事件」を、『 リーゼント刑事 42年間の警察人生全記録 』より一部抜粋。絶体絶命の状況でも、彼が希望を捨てずに生還できた理由とは?(全3回の3回目/ #1 、 #2 を読む)
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「これはアカン」という絶体絶命の場面
刑事の仕事は常に危険と隣り合わせや。ワシは長い刑事生活のなかで何度も「これはアカン」という絶体絶命の場面に遭遇し、すんでのところで危機を乗り越えてきた。
多種多様な凶悪犯罪のなかでも、人質立てこもり事件は被害者が犯人の手中にあり、事件自体が流動する。通常の事件は発生後に認知してから捜査を始め、犯人と証拠を探し出すが、立てこもりは事件そのものが犯人主導で動いているから、捜査の難易度が高い。しかもわずかなミスが被害者の命に直結する。
現場の経験が足りない捜査幹部や捜査員がこの種の事件を担当すると、一瞬の判断に迷いが生じて最悪の結末を招く可能性がある。人質立てこもり事件と同質の難易度があるのは、身代金目的誘拐事件だけだろう。
ただ、こうした凶悪犯罪はめったに発生することがない。現役時代に一度も遭遇しなかったという刑事も珍しくない。
ところがワシは、それほど稀有な人質立てこもり事件を、なぜか1年の間に2度も経験した。しかも両方とも、一歩間違えれば命を落としたかもしれない危険な現場だった。
「マスコミを呼べ。俺の花道を映せ!」
あれはワシが徳島東警察署で刑事第一課強行犯係の係長をしていた時だった。
「隣の家から突然、『助けて~!』という声が聞こえました」
住民からこんな110番通報があり、ワシは覆面パトカーで現場に直行した。当初は揉め事かケンカやろうと思っていたが、現場に到着すると、「助けて」という声が聞こえてきたという平屋の一軒家は玄関や窓がすべて施錠されて、カーテンが閉められていた。
「ごめんくださ~い!」と玄関から声をかけてもシーンとして何の反応もない。
異様な雰囲気を感じ取ったワシは、家の裏の窓から声をかけ続けた。しばらくすると、「助けてくれ~!」と叫ぶ男の声が聞こえて、その直後に「うるさいんじゃ! 黙らんかい!」と怒鳴る別の男の声が聞こえた。
これは人質立てこもり事件や――そう直感したワシが「どうしてほしいんじゃ。アンタは誰じゃ。一緒にいる人はケガしていないか」と説得を始めると、犯人は「俺は◯◯じゃ。マスコミを呼べ。俺の花道を映せ!」と要求してきた。
ワシは「まあまあ、とりあえず人質を解放してくれや。それで、じっくり話し合おうやないか」と話しかけた。人質立てこもり事件では、説得役が言葉を間違えると人質に危害が加えられることがある。ワシは犯人をできる限り落ち着かせるように腐心して説得を重ねた。そのなかで、被疑者と人質がかつての「ムショ仲間」ということがわかった。
極度の緊張状態のなか時間はどんどん過ぎ、説得を始めてから約10時間が経っていた。
周辺が夜の帳に包まれた午後9時頃、家のなかから突然ガサゴソという物音が聞こえてきた。犯人の拘束から逃れた人質が、トイレの窓から脱走したのだった。
「人質が逃げた! いまがチャンスや!」
ワシらは瞬時の判断で窓ガラスを割り、室内に突入した。そこには出刃包丁を右手首に巻き付けた男がいた。男はあっという間に距離を詰め、出刃包丁を頭上まで振りかぶってワシに斬りかかって来た。
「アカン、これは死んだ」
咄嗟に手刀で受けたが、出刃包丁が迫り、「アカン、これは死んだ」と観念した。
だがその時、別の捜査員が男の下半身に渾身のタックルをかまし、仰向けに倒した。直後に大勢の捜査員が部屋に雪崩れ込み、男の身柄を確保した。ワシはここぞとばかり、“バシャーン”と思いっきり犯人の手首に手錠をかけてやった。
一命をとりとめたのはよかったが、若い捜査員たちが雪崩れ込む際、倒れていたワシの背中をドスドス踏んでいきよった。あまりの痛さに「オイちょっと待て! 下にワシがおるんじゃ……」と叫んだつもりだったが、捜査員たちには届かなかった。
それにしても、捜査員のタックルがコンマ何秒遅れていたら、ホンマにワシはあの世行きやった。よく言われるように、死の危機に瀕してそれまでの思い出が走馬灯のようによみがえることはなかったが、あの時の包丁男の動きはいまでも、スローモーションビデオのように鮮明によみがえる。まだ生きとるんやが……。
ガソリン入りのポリタンクを持った男が…
その数か月後、またしてもとんでもない事件が起きた。
今度は包丁とガソリン入りのポリタンクを持った男が、中年女性を人質に立てこもっているという。ワシは消防にも出動を要請し、現場に急行した。
現場はやはり、平屋の一般住宅だった。窓のカーテンはすべて閉められ、玄関は施錠されている。ワシはその場で待っていた被害者の親族から部屋の間取りを聞き、玄関先から「徳島東署の秋山です。誰かいたら返事をしてくれますか。コトを大きくしたくないので、相談に乗りますよ」と声をかけて説得を始めた。
それから1時間ほどすると、人質の中年女性が玄関からよろよろと出てきた。駆け寄って話を聞くと、立てこもっているのは女性の元交際相手の65歳男性。包丁とガソリン入りのポリ容器を持参して女性のもとに現れ、鬼の形相で復縁を迫ったのだという。
女性がスキを見て自力で脱出したので、部屋のなかには男がひとりでいるはずや。ワシらは男の名前を呼びながら家のなかに踏み込み、室内を隈なく確認した。だが、人の気配は感じられない。居間の掃き出し窓がわずかに開いて、カーテンがかすかに揺れているのを見て、男が逃走したものと理解した。
念のため、もう一度屋内の隅々まで誰もいないことを確認するよう部下に指示を出し、「犯人は窓から逃走中。全員捜索願います」と無線で報告した。張り詰めた緊張感が少し緩んだその瞬間だった。居間の隅にあるタンスのトビラがバーンと開き、なかからガソリン入りの赤いポリタンクを持った男が勢いよく飛び出してきた。
「近寄るな! ワシャ、死ぬんじゃ! もうどうなってもいいんじゃ!」
自暴自棄になった男はそう叫び、ガソリンを部屋と自分の体にドバっとぶちまけた。
男はあっという間に「火だるま」と化した
「おいおい慌てるな! 落ち着け、話し合おう!」というワシらの声に一切耳を傾けず、男はズボンのポケットから取り出したハンカチに100円ライターで火をつけた。
ボーンという爆発音とともに、気化したガソリンに一瞬で火が燃え広がり、辺り一面が火の海となった。ワシは反射的に犯人を助けようとしたが、間に合わなかった。大量のガソリンを全身にかぶった男は火だるまと化し、ゆっくり1歩、2歩と足を進めて、3歩目でその場にドスンと倒れ込んだ。まるでアクション映画のワンシーンのような光景やった。
ワシと部下2人は、猛烈な火と黒煙に襲われて逃げ場を失った。一酸化炭素中毒にならないよう床に這いつくばって台所の勝手口を探したが、部屋中に広がった黒煙のせいで視界が悪く、一向に見つけられない。まさに死ぬ思いで避難先を探していると、屋外にいる捜査員たちの声が聞こえてきた。
「うわ~、これはごっつい火や。こりゃ、家は全焼するで~」「大変です! 秋山係長たちが逃げ遅れて、まだなかにいます!」「なんやと~、これはもうアカン。検視の準備をせい!」
いやワシらまだ生きとるんやけど……やはりアカンのんか?
部下だけでも助けなければならんのじゃ!
猛火と黒煙に包まれたワシは命の灯が消えゆこうとしているのを感じ、2人の部下に心のなかで詫びた。
「守ってやれずにスマン。一緒に死ぬ羽目になってしまった。ホンマにごめんな」
部下のほうに目をやると、2人とも涙目でワシを見つめ返してきた。おそらく、彼らも死を覚悟してたんやろう。
いよいよダメかもしれない……と思ったその時、台所のほうからかすかな光が差し込んでいることに気がついた。目を向けると、シンクの上に小窓があるのが見えた。 「これは逃げられるかもしれん。死ななくて済むぞ」ーー最後の力を振り絞り、駆け寄って小窓を開けると、そこには鉄格子が設置されていた。万事休すか……いや、まだ諦めるわけにはいかない。部下だけでも助けなければならんのじゃ!
無我夢中のワシが咄嗟に空手の横蹴りをかますと、ピキッという音がして鉄格子にヒビが入った。そのまま渾身の力を込めて鉄格子を蹴破り、最初に部下2人を屋外に脱出させた。
よしっ、何とか助かりそうや。ところが、部下に続いて窓から這い出ようとすると、なぜか前に進めない。あれっ? あろうことか、ワシの着ていたハーフコートが折れた格子に引っかかり、動きを封じられていたのだ。「ちょ……ちょっ!」――じたばたしたら何とか格子が外れて脱出できたが、引っかかった瞬間は、この日2度目の死を覚悟するとともに、現場にハーフコートのまま突入した自分を大いに恨んだ。
あの頃、ワシは自分の命を盾にしてでも被害者の命を守る気持ちでおった。それがワシの生き様であり、刑事魂であるとの揺るがぬ決意があった。だから実際に死にそうになっても、刑事になったことには微塵も後悔はなかった。
危険な任務に従事する警察官の多くが「一般市民を守るためなら、現場で死んでもいい」という気持ちで活動していることを、みなさんにも知ってほしい。
(秋山 博康)