北海道・知床半島沖で乗客乗員計26人を乗せた小型観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」が沈没した事故で、船の引き揚げ作業が本格化している。一方で今も12人の行方がわからず、周辺海域では海上保安庁の船などによる行方不明者の捜索が続く。23日で事故から1カ月。関係者の証言などから、事故当日の状況を追った。
4月23日午前10時。北海道斜里町のウトロ漁港に停泊しているカズワンに、24人の乗客が次々と乗船していった。最後に乗船したのは女性と男の子の親子。関係者によると、親子はカズワンの運航会社「知床遊覧船」の別の船「KAZU Ⅲ(カズスリー)」の乗船を予約していた。しかし、カズスリーは知床岬より手前の「カムイワッカの滝」あたりで折り返す船で、親子が知床岬で折り返すコースを希望したため、急きょカズワンへの乗船に振り替えていた。
案内役のスタッフが、屋外席に座った男の子に救命胴衣を着させてあげると、サイズが大きく、下のサイズの着用を勧めたという。「予約通りにカズスリーに乗っていたら、事故に巻き込まれることはなかったのに」。関係者の胸中に、そんな思いが去来する。カズワンは午前10時ごろ、親子を含む24人の客を乗せて出港した。約3時間の航行予定だった。
カズワンは23日、今シーズン初の運航だった。知床周辺は午後から荒天が予想されていたが、天気が悪くなった時点で引き返す「条件付き運航」で出航することにした。決めたのは知床遊覧船の桂田精一社長と豊田徳幸船長(行方不明)。港の誰もが午後の雲行きを怪しみ、出航準備をする豊田船長に「大丈夫か」と声をかける同業者もいた。
午前10時半、カズスリーも約10人の客を乗せてウトロ漁港を出港した。午前11時ごろ、豊田船長からカズスリーの船長にアマチュア無線で連絡が入った。「カムイワッカ(の滝)の上にクマがいたわ」。後の異変を感じさせる内容ではなかった。カズスリーは予定通りに旋回して引き返し、午前11時40分ごろ、ウトロ漁港に戻った。その時、海はまだ穏やかだった。
正午前、ウトロ漁港で風が強まり始め、漁船が次々と帰港してきた。帰港予定の午後1時が近づいても、カズワンが戻ってくる気配がない。不安に思った同業他社の従業員が知床遊覧船の事務所を訪れたが、連絡用のアマチュア無線は事務所側のアンテナが破損し、衛星電話も故障中。状況をつかんでいなかった。
これまでにもヒグマがたくさん見えたので帰港が遅れることがあった。しかし午後1時を過ぎると、事務所にも不安が広がった。船に連絡を入れようにも、豊田船長の携帯電話は知床半島の多くで通信エリア外で連絡の取りようがない。同じ頃、同業他社の従業員がアマチュア無線でカズワンと通信を試みていた。午後1時10分ごろ、無線から聞こえたのは「救命胴衣を着させろ」という怒号。午後1時18分、カズワンの乗員が乗客の携帯を使って118番に「エンジンが止まっている」と通報した。
安全管理規定で船の航行中は事務所にいるべきだとされる運航管理者の桂田社長は外出中で、北見市内にいた。スタッフから連絡を受けても事態を理解できない様子だったという。
カズワンは「カシュニの滝」近くの水深約120メートルの海底に沈んだ。船内に行方不明者はおらず、沈没の前後に船で何があったのかは、わかっていない。船はまもなく引き揚げられる予定で、事故の原因究明が進む見通しだ。【真貝恒平、山田豊、高橋由衣、福島祥】