なぜ、事件が起きたのか――。兵庫県川西市の路上で深夜、会社員の小瀬(こせ)秋雄さん(当時30歳)=伊丹市=が何者かに刺殺された事件は23日、未解決のまま発生から20年を迎える。母の盛山時枝さん(74)は月命日には欠かさずお墓と事件現場を訪れ、手を合わせてきた。風化にあらがいながら「息子は今も私たち家族や友人の中で生きている。犯人につながる手がかりがほしい」と訴える。
「あっ、秋雄の声がした」。外出して人通りが多い場所にまぎれこむと今も、そんな思いにとらわれる瞬間がある。辺りを見回し、姿を捜す。「いるはずはないのに……」。時枝さんは少し目を伏せて話した。
20年前のあの夜、秋雄さんが事故に遭ったという警察からの連絡を受け、搬送先の病院に急いだ。間違いだと思った。何度も、秋雄さんの携帯電話を鳴らした。でも、応答はない。「電話、出てよ」。いつしか涙声で留守番電話に吹き込んでいた。到着後、事件で死亡したと知らされた。混乱した。
秋雄さんは3人兄弟の次男。長男が経営する外装工事会社に勤務し、一人前の腕前になっていた。時枝さんは毎日、近くで一人暮らしをする秋雄さんに昼食の弁当を用意した。事件に遭遇した日の夕方に弁当箱を返しにきた際も、「おいしかった」という声を聞いたが、言葉を交わさなかった。ずっと続いてきた日常が数時間後に断ち切られるとは考えもしなかった。
「誰にも優しかった」
「明るくて、子供好き。誰にも優しかった」。仕事帰りには、長男の子供につかまってボール遊びやテレビゲームなどに一緒に興じた。一時、料理人の修業をした経験があり、しばしば友人を招いて料理を振る舞ったり鍋パーティーをしたりしたという。亡くなってから、たくさんの友人たちに恵まれていたことを知った。「わずか30年の命だったが、楽しく過ごしていたんだ。凝縮された人生を送れたかな」。そう思いたい。
事件後、時枝さんら遺族は警察とは別に友人らに話を聞いて回り、当日夜の足取りを調べた。「解決への手がかりが寄せられるかもしれない」と、秋雄さんの携帯電話の番号やメールアドレスは遺族が引き継いでいる。有力な情報提供者には謝礼金(最高300万円)を支払うことも明らかにしている。
時枝さんは毎夜、枕元に遺影と遺骨の一部を納めたペンダントを置いて眠りにつく。「夢の中に現れた秋雄に聞きたい。私は真相を知りたい」【土居和弘】
川西市オートバイ男性刺殺事件
2002年5月23日午後11時40分ごろ、兵庫県川西市栄根2の県道の側道で、小瀬秋雄さんが大型オートバイにまたがったまま血を流しているのを通行人が見つけた。胸を刺され、傷は心臓に達していた。凶器は見つかっていない。尼崎市内に向かう途中、何者かとトラブルになり刺された可能性があるという。殺人など凶悪事件の公訴時効は10年に撤廃されている。情報提供は川西署(072・755・0110)。県警のホームページからメールでも受け付けている。