救済立法かなわず…国会閉会 空襲被害者、補償運動開始から50年

通常国会が15日に閉会した。太平洋戦争下の空襲被害者が補償を求める運動を始めて50年の節目で、「全国空襲被害者連絡協議会」(全国空襲連、墨田区)の会員らが悲願とする救済立法はかなわず、落胆が広がった。
全国空襲連共同代表の吉田由美子さん(80)は3歳で1945年3月10日の東京大空襲に遭い、戦災孤児となった。ロシアによるウクライナ侵攻で苦しむ人たちの姿が自分たちに重なり、胸が痛むという。「日本の支援はもちろん必要で、私たちも募金活動などをしました。77年前に日本の自国民も戦争に苦しみ、今も救済されていないことを知ってほしい」と話す。
政府は元軍人や軍属、遺族らに補償や援護を行ってきたが、民間人空襲被害者らには「国が雇用していなかった」ことなどを理由に行わなかった。72年、戦時中の名古屋大空襲で大けがをした杉山千佐子さんが「全国戦災傷害者連絡会」(全傷連)を結成、救済立法を目指して活動したがかなわなかった。21世紀に入ると国に補償を求める提訴が相次いだ。2007年3月、吉田さんら東京大空襲の被害者が東京地裁に提訴。同地裁、東京高裁でも原告が敗訴し13年に最高裁で敗訴が確定した。
同訴訟の原告は10年に全国空襲連を結成し、立法による解決も目指して運動を続けてきた。河合節子さん(83)らは19年4月から原則として国会会期中の毎週木曜日、国会前でリーフレットを配るなどして救済を訴えてきた。これまでに90回近くに及ぶ。
今年は全傷連結成から50年、東京大空襲国賠訴訟の提訴から15年の節目で関係者の期待は高まっていた。11年に結成された与野党横断の国会議員連盟(現会長は北村誠吾・元地方創生担当相)が被害者への特別給付金を柱とする法案成立を今国会で目指したが、与党内の合意が得られず法案提出を断念した。
長引く活動の中で、杉山さんや東京大空襲訴訟の原告団長だった星野弘さんら空襲体験者で活動を主導してきた人たちが次々と亡くなった。吉田さんは「国会のたびに今回がラストチャンスと言ってきた。私たちの命がなくなってしまう。国に放置している理由を聞きたい」と憤る。
全国空襲連は16日午後1時半、すみだ女性センター(墨田区押上2)で「決起集会」を開く。東京大空襲で母親と弟2人を亡くした河合さんは、「民間人被害者の実態を知れば、何らかの救済が必要と思う人がいるはず。あきらめずに活動を続けます」と力を込めた。【栗原俊雄】