《目黒区5歳女児虐待死事件の真相》「ゆるしてください、おねがいします。ほんとうにもう、おなじことはしません」 なぜ両親は娘を凄まじい“虐待死”に追い込んだのか? から続く
テレビ、新聞、ネットニュースでは、日々、あらゆる情報が流れては消えていく。しかし、この世で実際に起きていることは、大手メディアが報じる“大きな声”だけではない。
人々の“声なきこえ”をしっかりと伝え、記録に残したい――。
そんな思いから2020年10月に立ち上がったのが、YouTubeチャンネル「日影のこえ」だ。メディアで報じられた重大事件の「その後」を追い、決してマスメディアが伝えない「名もなき人たち」の声を取材し、ドキュメンタリーとして伝える。それは図らずも、事件の真の犯行動機や、表層の奥に隠された“真実”に迫るものになることも多かったという。
取材を続けてきた「日影のこえ」取材班とノンフィクションライターの高木瑞穂氏が、自身の関わった多くの事件について記した著書 『日影のこえ メディアが伝えない重大事件のもう一つの真実』 (鉄人社)より、2018年に起きた目黒区5歳女児虐待死事件の被告である船戸雄大・優里夫婦の過去に迫った章を抜粋して転載する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)
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歪んだ親子関係
結婚後、2人は揃って水商売から足を洗い、優里は専業主婦に、雄大は香川ではCMが流れるほど有名な食品関連会社に職を得る。善通寺市内のアパートで、地に足をつけた一家4人の暮らし。だが、平穏な暮らしはほどなく破綻する。
「幸せそうに楽しそうに暮らしていたのは最初だけです。すぐに結愛ちゃんが泣き叫ぶ声が聞こえてきました。尋常じゃないほど大きな声でした。それとよく雄大と結愛ちゃんが家の前で一緒に遊んでいたんですけど、あれは遊んでいたというより監視していたという雰囲気でしたね。なんというか、歪んだ親子に見えました」(近隣住民)
結愛に対する、しつけという名の虐待は結婚と同時に始まっていた。一度叱りはじめると雄大は止めどない。束縛が激しい性格からして徐々に高揚し、説教は数時間も続いた。従わなければ手も上げる。となれば、社会が見逃すわけがない。
「児童相談所の目に留まり、結愛ちゃんは、一時的に保護されることになりました」
優里は思考が停止、雄大の言いなりに
前出の近隣住民によれば、児相の職員にも「随分と高圧的」で、俺は間違ったことをしていないとばかりに食ってかかることもあったらしい。一方、優里は雄大の言いなりで、思考が停止したかのごとく夫の言動全てを肯定した。親の反対を押し切ってまでシングルマザーであった自分を受け入れてくれた。その負い目から、反論はもとより助けることすらできなかったのだろうか。
僕が獄中の雄大と優里に手紙を送ったのは、2人の心情を解き明かしたかったからだ。が、雄大からは一切の連絡は来ず、優里からも受け取り拒否されれば、なす術なし。
ともかく、2人は善通寺市での生活をわずか2年で見切りをつけ、2017年12月、居心地が良かった三軒茶屋で築いた人脈を頼りに、一家で東京に転居する。社会のルール上は正しいとしても、雄大からすれば自分のしつけに歯向かう児童相談所は邪魔な存在だったに違いない。目黒区東が丘への流転は、現実社会からの逃避でしかなかった。
事件を風化させないために
事件後から通い続ける東が丘のアパートからは、1ヶ月もするとマスコミの姿は消えていた。が、誰かが思いを巡らせているのだろう、手向けられた花や菓子が途絶えることはなかった。
「あのアパートを見ると事件を思い出さざるを得ないんです。だからあんまりあそこを通らないようにしちゃう。つらいですから」
事件から目を背けたいは、忘れたいとは、違う。事件を風化させないためにも花や菓子を供えて手を合わせているのだと近隣住民は言う。
虐待が起きたアパートから一室、また一室と空き部屋が目立ちはじめた頃、僕は行きつけの飲み屋を見つけた。現場からほど近いダイニングバーである。
「やっぱり街にとってはあのアパートは解体したほうがいいんですかね?」
ギネスビールを口にしながらマスターに尋ねると、真摯な答えが返ってきた。
「それはそうだけど、街の方々も悔しいんですよ。なぜ気づけなかったのか、何かできなかったのか。今も思い続けています……」
「なんでこんな閑静な住宅街で事件は起きちゃったんですかね?」
「それはわからないけど、僕が接した限り、あんな事件を起こすような人間だとは思わなかった」
2018年1月、バーにやってきた雄大
そう、偶然にも事件前に雄大は、この店に来ていた。マスターの記憶によれば、最初に顔を出したのは2018年1月。雄大は緊張した面持ちで暖簾をくぐった。ハイボールを一つ。アテはミックスナッツ。マスターは間合いを読みながら声をかけた。
「初めてですよね。お近くにお住まいですか?」
「引っ越したのは最近です。妻と子供は1週間後に来ます」
マスターは雄大を礼儀正しい男として認識した。新生活の不安はあるのかと聞くと、「今まで食品会社で働いていたんですが、新しい仕事を始めようと思っています」と希望を覗かせたという。
「芸能界のマネージャーをやりたいと話をされていたので、何か当てがあるんですか? って聞いたら、特にないですと。だから、新たに東京に出てこられて、お子さんもいらっしゃるなかで仕事を始めるなんて大丈夫かなって、ちょっと心配になりました。ただ、この辺りは過ごしやすいというか温かい地域なので、頑張ってくださいねと声をかけました」
ここが人に優しい地域であることは、僕も感じていた。昔から地元に住む人間と新しく越してきた住人の間に溝ができることは珍しくないが、東が丘は違う。地域行事一つとっても垣根なく多くの人が参加する。この店でも偶然居合わせた者同士がわだかまりなく一緒に飲む姿を、僕は何度も目にしていた。
痣の数は、顔から足の裏まで全部で170
実際、雄大が初めて店を訪れた日も彼にとっては絶好とも言うべき来客があった。
「地域の活動をおやりになっているみなさんがグループで来てくださったんですね。なので、紹介させていただいて。みなさんは『地域のお祭りもあるし、お子さんがいらっしゃるんなら、子供たちが参加できる活動もあるんで、ぜひ来てくださいね』って。彼も喜んでくれたんです」
雄大はその後、家族が東京にやってきたタイミングで、このとき築いた人脈を使い夫婦揃って挨拶回りまでしていた。が、結愛は自宅に残したまま。もはや外に連れ出せる状態ではなかったのだろう。思うように就職先が見つからない苛立ちを結愛にぶつけ、サンドバッグにした。死後、結愛の身体から見つかった痣の数は、顔から足の裏まで全部で170。雄大はモデル体型になることまで強要し食事を制限、結愛は栄養失調状態にも陥っていた。結果、16キロあった体重は、東京に来てから死亡するまでの1ヶ月半で12キロまで減少。さらに、朝4時に無理にでも起こし、九九の勉強をさせる。サボったり言いつけを守らなければ、拳が容赦なく振り下ろされた。
善通寺市を管轄する児童相談所から引き継ぎを受けた児童相談所の担当者が訪ねてくるも、雄大に絶対服従の優里は追い返した。万事休す。2018年3月2日、結愛は亡くなった。死因は栄養失調による敗血症。あと1ヶ月もすれば小学校に入学する予定だった。
虐待事件の厳罰化へ
事件から1年経った冬、もぬけの殻と化したアパートは取り壊される。外国人たちがヘルメットを被り、重機を動かす。結愛は、わずか数ヶ月であってもここに暮らしていた。だが外国人たちはおそらくこのアパートで何があったか知らないし、また興味もない。僕は解体作業をじっと見ていた。事件から目を背けたい。けれども忘れてはいけない。そんな思いを投影するかのごとく、現場で足を止める住民は少なくなかった。
雄大、懲役13年。優里、懲役8年──。判決が言い渡された瞬間、虐待事件の厳罰化を望む者たちは、心の中でガッツポーズを決めたことだろう。ひいてはこの事件後の2019年1月に発覚した千葉県野田市の虐待事件では懲役16年の判決が下されている。結愛の死、警察の怒りがなければ、あわやお手盛りの判決が連発していたはずだ。
(高木 瑞穂,YouTube「日影のこえ」取材班/Webオリジナル(特集班))