58人が死亡し、5人が行方不明となった2014年の御嶽山噴火を巡り、犠牲者の遺族らが国などに賠償を求めた訴訟は13日、長野地裁松本支部で判決が言い渡される。争点は、噴火前に2日連続で50回以上の火山性地震が観測される中、噴火警戒レベルを1(平常=当時)に据え置いた気象庁の判断の妥当性だ。原告側は、レベルを上げていれば立ち入りが規制されていたと主張する。次女照利(あかり)さん(当時11歳)を亡くした原告の長山幸嗣さん(52)=愛知県豊田市=は「気象庁は責任をはっきりさせて遺族に向き合ってほしい」と訴える。
14年9月27日、小学5年の照利さんは母の文枝さん(53)や兄(21)と、計17人のグループで御嶽山へ日帰り登山に出掛けた。母と兄より先に進み、頂上へ向かった照利さん。亡くなった伊藤琴美さん(当時18歳)らと山頂付近でおにぎりを食べる姿が目撃された後、御嶽山は噴火する。照利さんは山の二ノ池付近で遺体となって見つかった。
娘を失った悲しみが癒えない中、長山さんを病魔が襲った。17年1月、悪性リンパ腫と診断された。抗がん剤治療を受け、退院できたのは半年後。そんな時、訴訟の動きを知った。
御嶽山の噴火警戒レベルを巡って、1から2(火口周辺規制)への引き上げ基準の一つとして「火山性地震の増加」(1日50回以上)が挙げられていた。だが、噴火前の9月10日から2日連続で50回以上の火山性地震が観測される中でも、気象庁はレベル1に据え置き、火山活動の変化を伝える「解説情報」を出すにとどめた。2に引き上げられていれば、火口周辺の立ち入りが規制され、犠牲者を出さずに済んだ――。原告らはそう訴えていた。弁護士らの説明を受け、長山さんも原告に加わることを決めた。
訴訟で国側は、噴火警戒レベル据え置きについて、研究者の助言を受けるなどして総合的に判断したと説明し、違法性を否定した。「引き上げないうちに噴火したのだから、人災だ」と言う長山さん。21年9月の本人尋問で「気象庁は責任の重い機関。真剣に遺族と向き合って」と訴えた。
6人きょうだいの3番目の照利さんは、自ら希望して小学校のバスケットボールのクラブに入った。長山さんは「うちの子はそれぞれ個性がある。照利は背が高く、意志が見える子だった」。噴火に遭遇しなければ、照利さんは今19歳だ。「どういう感じになったんだろう」と思いを巡らせると、悔しさが募る。
長山さんは「照利のためというより、63人の代表として闘っているつもり。その人たちのさまざまな人生が両肩にのってくる感じがする」と語る。判決を前に、犠牲になった人々の無念を少しでも晴らしたいという。【木村健二】