58人が死亡し、5人が行方不明となった2014年9月の御嶽山噴火を巡り、噴火前に噴火警戒レベルを引き上げなかった気象庁などの賠償責任を認めなかった長野地裁松本支部判決。17年1月の最初の提訴から5年がかりの裁判に取り組んできた原告の遺族らは、悔しさをにじませた。
御嶽山は古くから信仰を集めてきた名峰で、噴火が起きたのは紅葉シーズンのお昼時だった。原告の一人の伊藤ひろ美さん(61)=長野県東御市=は、夫の保男さん(当時54歳)を亡くした。保男さんは所属していた「美ケ原高原パークボランティアの会」の仲間と一緒に出掛けていた。ガイドや環境美化の活動を深めていくことを楽しみにしていた。
その時を振り返り、伊藤さんは「(人生の)色の感覚がなかった」と語る。それでも、被災した人々、遺族のつながりを作ろうと、15年4月に姉のシャーロック英子さん(63)らとともに被災者家族の会「山びこの会」を発足させた。
「どうして気象庁は噴火警戒レベルを引き上げなかったのか」「どうして戦後最悪の被害を出すような結果になってしまったのか」。そんな疑問が強くなり、伊藤さんは他の被災者にも呼び掛け、提訴に踏み切った。「突然、未来を絶たれた夫の悔しさを晴らしてあげる責任がある」と言う。
法廷を欠かさず傍聴する中で、気象庁の対応に不信感が募っていった。訴訟では、噴火前の気象庁の対応が浮かび上がった。
例えば、1日50回以上の火山性地震が最初に観測された14年9月10日夜。帰宅途中に職場へ引き返した担当職員が、外にいた幹部に連絡し、噴火警戒レベル1(平常=当時)に据え置く方針を決めた。ところが検討にかけた時間は実質1時間足らず。担当職員と幹部との連絡は伝言ゲームのようだった。その後も、噴火するまでレベルは引き上げられなかった。伊藤さんは「誰もが信じている気象庁には、責任感も、観測する力もなかった」と嘆く。
山びこの会が今年6月に東御市で開いた写真展には、火山灰にまみれて傷んだ保男さんの登山服などの遺品を持ち込んだ。4回目となった写真展は、噴火災害の風化防止と防災意識の向上を目的としてきたが、火山や災害を研究する科学者を育てて層を厚くしたいという思いを強めている。裁判では、原告側の主張を支えてくれた研究者にも出会った。「私たちの訴訟に協力してくれた研究者の方々に続く若い人々を育てていくのが、私たちの義務」と考えている。【木村健二】