参院選の終盤となる7月8日、奈良県奈良市の近畿日本鉄道・大和西大寺駅前で実施された街頭演説中に事件は起きました。立候補者の応援に駆けつけていた安倍晋三元首相が、演説中に銃撃されたのです。救急搬送された病院で、安倍元首相は死去しました。
2021年の衆院選で街頭演説をする安倍元首相。選挙カーの上にいるSPは一人。背後はビルのため、後方を警戒する様子は見られない
このような凶行は、決して許されるものではありません。しかし、こうした危険に晒されているのは安倍元首相だけに限りません。筆者は首相官邸取材歴15年のフリーランスカメラマンですが、今回は歴代首相や国会議員の警備体制について解説します。
◆街に繰り出す首相経験者たち
参議院議員選挙の期間中は、現職である岸田文雄首相のみならず、前首相の菅義偉議員や元首相の安倍議員といった首相経験者が頻繁に街へと出て有権者に支持の拡大を図ってきました。
ほかにも首相経験者で現職の国会議員は、麻生太郎議員・菅直人議員・野田佳彦議員がいます。また、議員は引退していますが小泉純一郎元首相や細川護煕元首相、森喜朗元首相などは多方面で政治的な活動をしています。
こうした首相経験者を眺めてみると、議員引退後もさまざまな場面で“政治力”が求められていることがわかります。現役の国会議員、元首相ならなおさらです。今回の安倍元首相銃撃事件は、犯人像や犯行の背景・動機が少しずつ明らかにされていますが、それとは別に要人警備の不備も指摘が相次いでいます。
◆なぜ駅に背を向けて演説していたのか
2014年のニコニコ超会議で自民党ブースに立ち寄った安倍晋三首相。右端にSPが確認できるほか、別写真で周囲に数人のSPが確認できる
筆者は警察関係者ではありませんので、内部事情を知る立場にはありません。しかし、15年にわたって政治家を取材してきたので警察の要人警護と対峙する場面も頻繁にありました。セキュリティに関することなので、すべてをつまびらかにすることは控えますが、それらの経験則を踏まえて、要人警護について説明したいと思います。
安倍元首相が演説をしていたのは近鉄・大和西大寺駅の北口でした。映像で安倍元首相が銃撃される場面をご覧になった読者も多いかと思いますが、大和西大寺駅の北口は小規模なロータリーになっています。安倍元首相は駅に背を向けて演説していました。
本来は駅に向かって演説したほうがたくさんの人に見てもらえます。それなのに駅に背を向けて演説していたのは、ロータリーの向こう側に百貨店などの商業施設があり、多くの人がそこから演説に耳を傾けていたからでしょう。
しかし、駅は不特定多数の人が通行します。狙撃犯が紛れ込むに好都合です。背後に不特定多数の人が行き交うのですから、SPは首相の背後を厳重に警戒するべきでした。テレビやネットに出回っている映像を見ても、まったくのノーガード。容疑者は安倍元首相の背後から約3メートルの至近距離から発砲していますが、それまでSPは無警戒のように見えます。
◆銃撃事件以前にも危険な場面はあった
大和西大寺駅での失態から、奈良県警が世間から批判を受けることは仕方がないことです。しかし、安倍元首相に対する警備がザルだったのは奈良県警だけではありません。筆者は参院選の公示日となる6月22日に東京・有楽町駅前で安倍元首相の演説を取材しています。
参院選の公示日に有楽町駅前で街頭演説をした安倍元首相。背後にいる2人のSPはともに正面を警戒し、後方はノーガード
このとき、安倍元首相とともに2人のSPが選挙カーの上に立っています。そのときに撮った写真すべてを確認しましたが、SPは正面を向き、後方を警戒する様子はありません。後方には東京交通会館という商業施設があり、そのテラスから選挙カーの上に立つ安倍元首相を狙撃することは容易な状況なのに……です。
参院選の最終日となる7月9日の夕方、同じ場所で自民党が街頭演説をしています。安倍元首相の事件翌日ということもあり、東京交通会館のテラスは立ち入り禁止。また、演説中は当然ながら前方・後方どちらにもSPが目を光らせていました。
◆岸田首相の警備体制は?
今回の件でSPの警戒体制が気になった筆者は、安倍元首相が再登板する2012年の自民党総裁選の写真すべてを確認してみました。
2012年に新宿駅西口で実施された自民党総裁選の街頭演説会の様子。安倍晋三元首相の両脇に2人のSPが立っている
2012年の自民党総裁選は安倍元首相を含めて5人の候補者が立ち、新宿駅西口などで街頭演説を実施しています。新宿駅西口では選挙カーの上に立候補者が並び、その両端にSPが2人いることが確認できます。しかし、どちらのSPも正面を向き、後方を警戒している様子はありません。
参院選の応援演説で吉祥寺駅前に現れた岸田文雄首相。2人のSPは、それぞれ前方と後方を警戒している
それでは現職の岸田文雄首相の警備体制はどうなっているでしょうか? 場所は異なりますが、6月25日に吉祥駅前で岸田首相は街頭演説をしています。このとき、選挙カーの上にSPは2人。1人が前方を、1人が後方を向いているのが現場で撮った500枚以上の写真から確認できます。
◆大阪は「東京では考えられないような距離感」
こうした要人警護は警察庁や各都道府県警察が計画を練っています。実は、各県警のほうが地形などを把握しているので、各都道府県警によって警備のやり方が微妙に異なることもあります。
筆者は地方でも政治家を取材することがありますが、たまたま大阪に滞在しているときに河内長野駅前で二階俊博議員が街頭演説するとの情報をキャッチし、取材するため足を運びました。現地に着くと、周囲は厳重な警戒体制が敷かれ、二階議員が演説する街宣車から約20メートル以内には立ち入れないように規制されていました。
二階議員の姿は望遠レンズを使っても豆つぶほどにしか写らず、警戒にあたっている大阪府警や自民党のスタッフに対して「もう少し近寄ることはできないのか?」とお願いしましたが、聞き入れてもらえませんでした。東京では考えられないような距離感です。
◆まったくSPがつかないケースも
参院選の応援演説で、吉祥寺駅前に立った菅直人元首相。このときはSPは見当たらなかっただった
それほど厳重な警戒をする場合もあれば、まったくSPがつかないケースもあります。立憲民主党の菅直人元首相は今回の参院選でも応援演説に立っていますが、吉祥寺駅で実施された松尾明弘候補の応援演説では地べたに立ち、周囲にはSPは見当たりませんでした。
菅元首相が気さくに姿を現すのは、今回の参院選だけに限った話ではありません。アイドルグループAKB48は「会いに行けるアイドル」を標榜していましたが、菅元総理も「会いに行ける総理」と言われるほど積極的に有権者と接しています。また、野田佳彦元首相も地元の駅に立ち、自らビラ配りをすることで知られています。
また、民主党政権の末期に羽田孜元首相をお見掛けする機会がありました。羽田元首相は2012年に議員を引退するわけですが、それまではSPがつき、身辺を警護していました。
ほかにも個人的な体験になりますが、筆者は在京ラジオ局の番組に出演するため、出演者の待機スペースとなっていたラウンジで座っていると、遠くから細川護煕元首相がやってきて私の隣に腰掛けたことがありました。
細川元首相は私が出演した番組の後に放送される別番組に出演する予定だったのです。細川元首相は早く到着してしまい、ラウンジで待機していたのです。到着したという知らせを受け、ラジオ局の上層部の偉い人たちが慌てて待機スペースにやってきました。その場にSPは見当たりませんでした。
◆警備に正解は存在しないが…
要人警護はTPOに応じて体制も態勢も変わります。菅元首相のケースも、SPがつかない時もあればつくときもあるでしょう。警備には、これが正解というものがありません。それでも大和西大寺駅における安倍元首相の警護が手薄だった印象は否めません。
2021年10月4日の官邸記者会見より
街頭演説のような不特定多数と接触する場ではなく、官邸・公邸の警備はどうなっているのでしょうか? 公邸は首相の住まいとして使われますが、官邸は仕事場です。官邸には政治家・官僚のほか、有識者や自治体の首長、陳情に訪れる業界団体の幹部、新聞・テレビ局の記者などが出入りします。テレビで目にする首相の記者会見も官邸で実施されています。
私は官邸に10年以上にわたって通っていますが、当初から現在に至るまで、入館時のセキュリティチェックに変化はありません。一連の流れを説明すると、通用門で身分証の確認、館内の受付で再び身分証とアポの有無を確認。その後、X線による手荷物検査と金属探知機を使ったボディチェックです。
◆尾身会長ですら身分証の提示は不可避
ちなみに、官邸の受付で政府の新型インフルエンザ等対策閣僚会議の会長を務めた尾身茂さんと官邸の入り口で鉢合わせになったことがあります。尾身さんも官邸会見で演壇に上り、医師としての立場から記者たちの質問に答えることがありました。
尾身さんが官邸を訪れたのは記者会見に政府側の有識者として出るためですが、官邸の受付職員は「名前は?」「身分証を出して」と言い、尾身さんも身分証を出していました。そのやりとりを偶然にも傍らで見ることになった筆者は、吹き出しそうになるのを必死に堪えたのを覚えています。セキュリティを考えれば当然ですが、政府側の有識者といえどもノーチェックで官邸に出入りすることはできないのです。
しかし、日本と諸外国を比べると、まだ甘い部分があります。それが、持ち込むカメラの「シャッターチェック」がないことです。シャッターチェックとは、カメラを偽装した銃ではないことを証明するために、係員の前でシャッターを押す確認作業のことです。
◆シャッターチェックを今後は課せられる?
2020年に官邸で実施された安倍晋三首相(当時)の記者会見。演壇の両脇にSPが立ち、出入り口もSPが立っているのがわかる
今回の安倍元首相の銃撃事件で、容疑者は手製の銃を使用しました。事件発生直後の錯綜した報道のなかには「カメラに偽装した銃を使用したので、SPが一眼レフと見間違えた可能性がある」とも伝えられました。
不鮮明な画像での判断になりますが、容疑者が使用した銃は見間違えるほど一眼レフに似ていません。しかし、念には念を入れて、今後は官邸や国会議員会館などでもシャッターチェックを課せられるようになるかもしれません。
官邸などの警備より、今後早急に対応しなければならないのは街頭演説のような不特定多数の人が行き交う場での対処でしょう。
◆要人警護の在り方が変わる可能性も
要人警護は単に警戒にあたる警察官を増やしても意味がありません。選挙演説を街頭で実施する目的には、少しでも多くの有権者と触れ合って票につなげることが含まれているからです。警察官の数が増え、政治家と距離が生まれたり、接触ができなくなったりすれば街頭演説の意味がなくなってしまうからです。
事件を受けて、奈良県警の鬼塚友章本部長は、7月9日には記者会見を開き、「責任を痛感している。27年余りの警察官人生で最大の悔恨です」と語っています。また、二之湯智国家公安委員長は、現場での対応をはじめ警察庁に要人警備の在り方についても指示を出したようです。
今後3年間、大きな国政選挙はないとされています。大きな国政選挙はないとされています。その間、今回の件の検証が進められ、要人警護の見直しが進められることになるはずです。
<取材・文・撮影/フリーランスカメラマン 小川裕夫>
フリーランスライター・カメラマン。1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーに。首相官邸で実施される首相会見にはフリーランスで唯一のカメラマンとしても参加し、官邸への出入りは10年超。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)などがある Twitter:@ogawahiro