家中に貼られたお札、トップ校に進んだ「てっちゃん」は友人に母の入信明かせず

[凶弾 元首相銃撃]<上>

1998年春の選抜高校野球大会。ほぼ満員の甲子園球場アルプススタンドで、りりしい表情で腕を振る応援団員の姿が、奈良県内の県立高校の卒業アルバムに収められている。
山上徹也容疑者(41)。その人生は、この写真の頃を境に大きく変わり、24年後、安倍晋三・元首相(67)に凶弾を放ち、日本中を

震撼
(しんかん)させることになる。

山上容疑者は80年9月、裕福な家庭で育った母親と、有名国立大を卒業し、建設関係の仕事をしていた父親との間に生まれた。大阪府東大阪市で暮らしていた幼少期、父親が自殺。母親と兄、妹との4人で、奈良市にある母親の実家に移り住んだ。
実家の建設会社で経理の仕事を始めた母親は夫の死を引きずり、近所づきあいはほとんどなかった。山上容疑者は同居する母方の祖父から「てっちゃん」とかわいがられ、よく友達を自宅に呼んでテレビゲームで遊んでいたという。中学校ではバスケットボール部に所属し、県内トップクラスの県立高校に進んだ。
高校の同級生の女性(42)は、教室では口数が少なかった山上容疑者が、甲子園で野太い声を響かせていたことを鮮明に覚えている。「親しみを込めてみんなに『団長』と呼ばれていた当時の彼と、事件のイメージがどうしても結びつかない」
山上容疑者は友人には明かせない悩みを抱えていた。母親の「世界基督教統一神霊協会」(統一教会)への入信だ。

54年に韓国で創設された統一教会は80年代以降、高額なつぼや印鑑を購入させる霊感商法や多額の献金などで、社会問題となっていた。
母親が入信したのは、山上容疑者が高校3年だった98年頃とされる。中学生の頃にはすでに家中にお札が貼られていたと証言する知人もいる。
母親は統一教会に献金を重ね、99年には前年に亡くなった山上容疑者の祖父から相続した土地と家を売却し、家族で借家に引っ越した。借金を重ね、2002年には破産宣告を受ける。
母親の統一教会への信仰心は薄れることがなかった。献金額は総額1億円に膨れあがった。
山上容疑者は、ほとんどの同級生が進学する中、大学に進まず、02年8月に任期制自衛官として海上自衛隊に入隊。しかし、精神的に不安定になり、自殺未遂騒動を起こした。親族の関係者は「母親の宗教が理由だろう」と話す。
05年に海自を退職後、母親の元に戻るが、家賃を滞納するなど生活は苦しいままだった。アルバイトをしながら宅地建物取引士など複数の資格を取得するための勉強を重ねていた15年頃、幼い頃から慕っていた一つ違いの兄が自ら命を絶った。
「なんで死んだんや。あほやんか。生きていれば何とかなるやんか」
親族の関係者は、自宅で営まれた葬儀で、山上容疑者が号泣して兄の遺体に呼びかける姿が印象に残っている。兄は幼い頃から重い病気を抱えていた。
この日を境に、山上容疑者からの音信は途絶えた。

兄の死後、派遣の仕事を転々とし、20年10月以降は京都府内の工場でフォークリフトを運転する仕事をしていた。しかし、同僚と話すことはほとんどなく、先輩の指導に「そんなこと言うならお前がやれや」などと反発し、車の中で一人で食事をするなど職場では孤立していた。
今年4月、「心臓が痛い」などと言って体調不良を理由に翌月での退職を申し出て職場に来なくなった。この時期には、すでに自宅で手製銃を完成させていたとみられる。
そして7月8日、奈良市の近鉄大和西大寺駅前で街頭演説を始めた安倍元首相の背後からゆっくりと近づき、2度発砲した。
逮捕後、山上容疑者は統一教会から名称変更した「世界平和統一家庭連合」について、「母親が入信し、家庭生活がめちゃくちゃになった」と強い恨みを口にしている。自宅から押収されたノートにも恨みがつづられていた。
だが、なぜその銃口を元首相に向けたのか。山上容疑者は、淡々と事情聴取に応じているが、謝罪や反省の言葉はないという。