遺族らの悲しみ、怒り…応え続ける斜里町職員 知床観光船事故

北海道知床半島沖で観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」が沈没した事故が起きてから23日で3カ月となった。乗客乗員26人のうち14人が死亡、12人の行方が分かっていない。遺族や行方不明者の家族が抱く悲しみや怒りを受け止め、思いに応えようと努めているのが現場のある斜里町の職員たちだ。役場に移設された献花台の手入れを続け、訪れた人たちの追悼の気持ちを事故の関係者につなごうと心を砕いている。【山田豊】
斜里町本町にある町役場の本庁舎1階出入り口に設けられた献花台は、白や青、黄にオレンジと鮮やかな花があふれている。7月中旬、ある遺族が献花台を訪れた。見覚えのある姿に町保健福祉課の茂木千歳さん(56)は思わず声を掛けた。遺族は「覚えていてくれてうれしかった」とほほえんだ。
茂木さんは約1年前、自宅で祖母をみとった。自宅に次々と運ばれてくる花々を見て、「ばあちゃんへの思いが詰まっている」と感じ、何とも言えない心地よさを感じた。茂木さんは「自分と乗客乗員の家族や友人のみなさんの気持ちを並べることなんてできないけれど、自分にできることをしたい」と決意。思いが詰まった花をきれいな状態で見てもらいたい――との思いから、休日も頻繁に献花台の手入れに出かけるようになった。
事故から3カ月。茂木さんは訪れた人々の思いが聞きたくて献花台前で声を掛けるようにもなった。「数年前にカズワンに乗船したことがある」と話し、複雑な表情を浮かべる人がいた。事故後に大型観光船に乗り、カズワンが沈んだ海域で手を合わせてきたという人もいた。関係者に伝える機会があるかもしれない。町によると、22日午後3時時点で計1491束の花束が献花台に供えられた。行方不明者がおり、現時点で献花台を撤去する予定はないという。
職員たちは事故発生直後、町の公用車などで乗客乗員の家族らと移動を共にした。ある職員は事故直後、「どうしても海の冷たさを知りたい」と言う家族を担当。「自分の家族がどれだけ冷たい海に投げ出されたかを知らなければならない」と語り、職員の制止を振り払って、海に足を付けた。家族は「これほど冷たい海に放り出されたのか」と絶句、直後に「この思いを(知床遊覧船の)桂田(精一)社長に伝えたい」と憤ったという。
町保健福祉課の玉置創司課長(45)も複数の家族と向き合ってきた一人だ。玉置さんは東日本大震災が発生した直後の2011年5月、岩手県宮古市をボランティアで訪れている。「ここは誰もいません」と赤いペンキでがれきに記しがつけられた光景が忘れられない。
支える立場として、玉置さんは「(震災と事故は)同じでないけれど、共通する部分もある」と言う。何かを失った人たちがいれば、その気持ちに寄り添う人の存在は不可欠だ。事故後は遺族らが何を求めているかを考え続け、葬式の手配などに奔走した。「完全に察することはできないかもしれない。けれど、真摯(しんし)に受け止めたい」