重傷の元運転手 手紙やりとりも「加藤死刑囚の心見えず」

平成20年、7人が死亡、10人が重軽傷を負った無差別殺傷事件で殺人罪などに問われ、26日午前に死刑が執行された元派遣社員、加藤智大(ともひろ)死刑囚(39)=東京拘置所=に刺されて重傷を負った元タクシー運転手の湯浅洋さん(68)=宮崎市=の元には事件後、加藤死刑囚から手紙が届いていた。
湯浅さんは「真実を知りたい」との思いから7通の手紙を送り続けたが、返信があったのは接見を拒否したことをわびた1通のみ。死刑執行の知らせを受け、湯浅さんは「最後まで加藤死刑囚の心は見えなかった。なぜ無差別大量殺人を起こしたのかは疑問のままだ」と話した。
加藤死刑囚から便箋6枚に及ぶ手紙が湯浅さんに届いたのは、事件から約1年半後のことだった。
《この度は本当に申し訳ございませんでした。被害を与えたことについて、言い訳できることは何もありません》
冒頭にそう謝罪の言葉をつづり、《皆様から奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています》と刑に服する覚悟も見せていた加藤死刑囚。一方で《私は小さな頃から『いい子』を演じてきました》《『申し訳ない』と思っている自分は、はたして本当の自分なのか》とする文もあり、自身に対する疑念も告白していた。
「こんな手紙を書ける人間が、なぜ重大な犯罪を実行してしまったのか」。湯浅さんの事件への疑問はむしろ深まった。
湯浅さんは、事件で肺や肝臓を損傷する重傷を負い、体のしびれや痛みなどの後遺症に苦しんでいた。それでも、《私も一緒に事件を考えながら、できることをやっていきたい。もっと君を見せてくれませんか》と、返信を求める手紙を送り、加藤死刑囚の公判にも足を運んだ。
加藤死刑囚から唯一の返信が届いたのは、事件から2年9カ月が過ぎ、東京地裁で公判中だった平成23年3月。接見を拒否したことをわびるとともに《どうしたらいいのか、まだわかりません》という迷いが便箋1枚に記されていた。
湯浅さんは「加藤死刑囚の心は、本人にも見えていなかったと思う」と受け止める。
現在は故郷の宮崎県に戻り、警備員として働く湯浅さん。事件から14年が過ぎ、体のしびれはなくなったが、今年6月には勤務中に発作を起こして救急搬送されるなど、体調は思わしくない。それでも「若い世代に伝えていくことが再発防止につながる」と、事件を語り継ぐ決意は変わらない。(村嶋和樹)