「邪魔されたくなければ金を出せ」断ればヤクザの執拗な嫌がらせが…「みかじめ料」ビジネスが“必要悪”として成立していた事情

暴力団の「みかじめ料」ビジネスとはどんなものなのか? もし支払いを断ったら、一体何が起きるのか?
北九州を「修羅の街」に変えた凶悪暴力団「工藤會」組織トップの摘発までの全貌を追ったジャーナリストの村山治氏の新刊『 工藤會事件 』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)
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北九州の暴力団「工藤會」はなぜ暴走した?
工藤會はなぜ、かくも、暴走するにいたったのか。
「もともと、北九州市で工藤會が巣くう地域は、警察と暴力団のどちらを市民が支持するか、分かれるようなところだった。学校で子供が工藤會について『かっこいい。おれも将来、組に入る』と言うような土地柄だ。だから、市民の協力が得られず、工藤會の摘発が進まない。それをいいことに工藤會は横暴の限りを尽くす」
九州に勤務経験のある元警察庁幹部はこう語った。一種の「風土」論だ。
東京から見ていた間、筆者も「風土論」に一定の説得力を感じていた。しかし、実際に捜査現場を取材すると、違う気がした。そもそも北九州市民が聞けば、怒り出すだろう。
福岡県警暴力団対策部長として「頂上作戦」の指揮をとった千代延晃平・群馬県警本部長は「風土論」にこう反論する。
「工藤會がヤクザとして特殊なわけではない。トップと実行犯の個性の組み合わせで組織として暴走した。北九州市民、福岡県民は、工藤會がもたらす負のイメージ、レッテルを剥がしてほしいと思っている」
確かに、日本の近代化の原動力になった産業都市は北九州だけではない。人が集まり活気が出れば、もめごとの仲裁で暴力団が出てくる。それは全国どこでも同じだ。
福岡県には、北九州市が根城の工藤會をはじめ、地元に根を張り、全国組織でない独立組織の指定暴力団が5つもある。田川市の太州会、久留米市の道仁会、大牟田市の浪川会、福岡市の福博会。福岡市には山口組と神戸山口組の傘下組織もある。
「暴力の街」のイメージが強まったのには、2006年から13年まで続いた道仁会と浪川会(九州誠道会)の激烈な抗争も大きく影響している。市民を狙ったわけではないが、工藤會の市民襲撃と同時並行で起きたため、より一層悪い印象が広がった面もあったとみられる。
ただ、山口組、稲川会、住吉会などの指定暴力団は、暴力団同士の抗争で殺し合いはするが、市民に銃は向けない。
上意下達が徹底している工藤會では、千代延が指摘するように「トップと実行犯の個性の組み合わせによるところ大」とみるしかないのだろう。県警はトップ3の野村、田上、菊地について、それぞれ性格診断を試みているが、その内容は機微に触れるため、ここでは紹介しない。
「みかじめ料市場」独占の帰結
工藤會の暴走には、「トップと実行犯の個性の組み合わせ」以外にも、いくつかの理由があると思われる。
ひとつは、工藤會による北九州市の「みかじめ料市場」の独占が挙げられる。
1950年代から60年代にかけて、北九州市に進出していた山口組は次々と撤退し、1993年に工藤連合草野一家が合田一家の残党などを吸収合併してからは、北九州市エリアの暴力団は工藤會だけになった。北九州市ほどの規模の都市で、ひとつの暴力団が覇権を握るところは全国どこを探してもない。
暴力団のみかじめ料ビジネスは、建設会社や飲食店に対する、他の暴力団による業務妨害を抑え込むことで成立する。要は、用心棒行為の対価としてみかじめ料を受け取るのである。
もちろん、建設会社や飲食店が暴力団など反社会的勢力にカネを渡す場合でも、喜んで支払ってきたわけではない。
例えば、建設会社が受注した工事を始める前に、暴力団ともつながる地域の顔役に「挨拶」、つまり金を包まないと、夜間、何者かによって現場事務所のガラスを割られ、トラックのタイヤをパンクさせられる。
本来は、そういう嫌がらせがあれば、警察に被害届を出し、警察が捜査して犯人を摘発すべきだが、犯人不詳の軽微な被害の場合、警察は被害届を受理しても、すぐには動けない。弁護士に相談しても事情は同じで、訴訟額が小さい被害なら受任も断られるだろう。
嫌がらせは次第にエスカレートする。建設会社は従業員の安全のため、工事を止めざるを得なくなり、工期遅れで大きな損失を抱える。そうした事態になるのを避けるため、その顔役に泣く泣く、金を払って「実行犯」を抑えてもらう。もしくは、その顔役以上に強力な別の顔役ないしは暴力団にみかじめ料を払い、業務妨害から守ってもらう。
関西ではこの種の「経済行為」を「前さばき」と呼ぶ。飲食店も同じだ。客を装ったその筋の者が堂々と出入りし、一般の客の前で暴言を吐いたりすれば、客は来なくなる。そうなると商売が成り立たない。その筋に顔の利く暴力団に用心棒になってもらうしかない。
こうやって、日本の多くの地域で、一種の必要悪として、暴力団の「みかじめ料」ビジネスが成立してきたのだ。
競合組織がなくなったことで、工藤會と建設会社、飲食店などとの関係は根本から変わった。
工藤會以外に暴力団はないのだから、建設会社や飲食店は工藤會に他の暴力団から守ってもらう必要はなくなった。用心棒ビジネスは成立しなくなったのだ。しかし、組織を維持し、組員を食わせるにはカネがいる。工藤會は、建設会社や飲食店にあれこれ業務妨害を仕掛けては、邪魔されたくなければ金を出せ、と迫るようになる。
これは、典型的な恐喝だ。1993年にその構図ができてしまった。
工藤會にとって唯一の「敵」は警察だが、法と証拠によって行動する警察は、アウトローで神出鬼没の工藤會に翻弄された。警察の暴力団排除運動に協力した企業に次々と銃弾が撃ち込まれたのに、警察は犯人をほとんど捕まえられなかった。
工藤會は増長し、市民に対して一層、居丈高になる。言うことを聞かないと、すぐ拳銃やナイフを向けるようになったのである。トップが溝下から野村に代わっても、その構図は変わらず、凶暴性は加速した。
食い扶持を確保するため「経営者を襲撃」することも
そして、工藤會暴走のふたつめの要因は、談合決別宣言だ。
全国の建設会社は談合しなくなり、入札はたたき合いになった。受注価格は、予定価格を大幅に下回ることも珍しくなくなった。建設会社は受注価格を談合で吊り上げて暴力団に対する「みかじめ料」の原資を捻出していたが、それができなくなった。
工藤會の最大の収入源だった、建設業者からのみかじめ料は細った。食い扶持を確保するため、建設業者の事務所や自宅に発砲を繰り返し、時には経営者を襲撃して恐怖で締め上げた。
黒澤明監督の名作『七人の侍』に登場する戦国時代の略奪集団「野武士」そのものである。巨大な利益を生む漁協・港湾開発利権に食い込むため、梶原・上野ファミリーに襲撃と恫喝を繰り返してきたのも、同じ理由からだろう。
取り締まる側の「警察・検察」にも問題が
工藤會の暴走の要因は、暴力団を取り締まる警察、検察側にもあった。攻撃は最大の防御。この格言は、暴力団対策でも同じだ。迅速な犯人摘発が最善の犯罪抑止策である。
しかし、次々と襲撃事件が起きるのに、警察は犯人を検挙できなかった。たまに末端の組員を検挙して起訴しても、被害者や目撃者の協力が得られず、無罪になることが少なくなかった。大元の、工藤會トップの摘発など夢のまた夢。警察、検察の北九州市における治安機能は事実上、破綻していたのだ。
福岡県警には気の毒な面もあった。
先にも触れたが、福岡県では指定暴力団・道仁会(久留米市)と、同会の跡目相続をめぐり分裂した九州誠道会(その後、浪川会に改称、大牟田市)が2006年5月から県内外で激しい抗争事件を繰り広げた。夕方の住宅街で射殺事件を起こしたり、事務所に手榴弾を投げ込んだりし、2013年6月時点で双方の死者は14人、負傷者は13人に上っていた。
暴力団同士の争いとはいえ、市民を巻き込む恐れがあった。県警は、工藤會事件と同時に、道仁会・九州誠道会抗争についても取締りを強化する二正面作戦を強いられた。
ついに県警が本気を出した
県警は2010年に暴力団対策部(暴対部)を新設。暴力団取締りを担ってきた捜査四課を、主に道仁会抗争を取締まる「暴力団犯罪捜査課」(暴捜課)と、工藤會事件専従の「北九州地区暴力団犯罪捜査課」(北暴課)に分課し取締りを強化した。
工藤會対策の最前線である北暴課は、北九州市にある県警の出先、北九州市警察部の中にある。北暴課の歴史は、県警の工藤會対策の歴史そのものである。
そもそもは、2003年3月、刑事部捜査四課に「北九州地区暴力団犯罪対策室」を設置したのが始まり。その後、2006年4月、名称を「北九州地区暴力団総合対策現地本部」に変えたうえ、工藤會の資金源を断つ目的で捜査二課の1個班、捜査三課、生活安全課、少年課の課員らを北九州地区に常駐させ、被害者保護対策に当たる警察官を指名するなどして工藤會対策に当たった。
さらに、2009年1月、小倉北署に工藤會撲滅推進室を設置したほか、4月には、「現地本部」の陣容を強化。刑事部捜査四課に「北九州地区暴力団犯罪特別捜査室」を設置。内偵特捜班や、発砲特捜班などを創設した経緯がある。
しかし、北暴課発足当初は目に見える成果は上がらなかった。やはり二正面作戦は大きな負担だった。県警は2012年の改正暴力団対策法に基づき、工藤會を「特定危険指定暴力団」に、道仁会と九州誠道会を「特定抗争指定暴力団」に指定した。組員らは集合、事務所への立ち入りが禁止され道仁会と九州誠道会は抗争継続が困難になり、2013年6月、九州誠道会が看板を外し、道仁会が「抗争終結」を宣言した。
これによって県警はようやく、工藤會に対して全力を注げるようになったのだった。
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(村山 治)