自己評価は異常に高いが、支持率は「0%」…旧統一教会の名称変更当時の文科相・下村博文の“野心”とは

この数年、私は下村博文先生を熱烈に推してきました。最近になって下村ウォッチの醍醐味が広がりつつあるようで嬉しい。
まず、政治家・下村博文の“魅力”をあげます。
〈「清和会(安倍派)の実行部隊のように見える」
「その割には発言がフラフラしてあまり自分の立場をわかってなさそう」
「しかし自己評価はとてつもなく高い」〉
いかがでしょうか、下村先生にちょっと興味がわいてきませんか?
「旧統一教会の名称変更当時の文科相」
最近の話題で言うなら下村氏が「旧統一教会の名称変更当時の文科相」だったことが注目されています。教団は1997年に名称変更を相談したが却下され、2015年になって申請したら認められた。
この点についての下村発言を追うとたまりません。7月21日に記者団の取材に「(自身は)まったく関わっていない」と強調。それでいて文化庁の担当者から「事前」も「事後」も報告があったと発言。8月4日には「今となれば責任を感じる」と語った一方で「当時は名称変更もほとんど報道されなかった」と開き直る。ああ、期待を裏切らない博文先生。
ちなみに名称変更当時に文科審議官だった前川喜平氏は「何らかの政治的な力が働いたとしか考えられない」と野党ヒアリングで証言(8月5日)。
同じ日に末松信介文科相は「要件を満たした申請書が提出されたため、受理し、認証の決定をした」と説明。つまり正しく揃った申請書を拒めば訴訟リスクがあったことを受理の理由に挙げた。これに対し前川氏は「リスクがあったとしても、この名称変更はすべきではないというのがあるべき政策決定だった。その決定をどう法的に正当化するか考えるべきだったのでは」と反論(8月5日毎日新聞)。
安倍派の集票力は「文教&宗教」
私は以前に自民党の集票力について詳しい記者に聞いたことがある。昭和の時代からだいたい「宏池会(岸田派)は大企業、竹下派(現・茂木派)は業界団体、清和会(安倍派)は文教&宗教」だと言っていた。今まさに注目されているのが安倍派の「文教&宗教」なのである。
だから、安倍派の醜聞が出てくる度に文科省の「中の人」だった前川氏が発言する流れにここ数年なっている。なるほど安倍派にとっては厄介な人物なのです。
文化庁の宗務課担当者は、2015年になって旧統一教会から名称変更の申請があった理由は「教団側のタイミングだ」と述べている。このタイミングは下村大臣だったからというより第二次安倍政権だから満を持して申請したのではないか? そう考えると下村氏個人が今もフワフワした言動なのは理解できる。
「新国立競技場問題」でも注目が…
さて、2015年には別の大問題もありました。「新国立競技場の建設費問題」である。ここでも下村博文先生が注目を浴びていたのを思い出してほしい。
膨れあがった建設費用に批判が強くなり、下村文科相は舛添要一東京都知事との会談で500億円の負担を求めたが反発された。そのあと下村氏は「一貫して明確な責任者がどこなのか、よくわからないまま来てしまった」と言い放った。すごすぎる博文節。とにかく明るい安村ならぬ、とにかくずさんな下村。
しかしこれも「下村博文よりエライ人」の動きをみると興味深いのだ。当時の毎日新聞の社説は、事業主体である日本スポーツ振興センター(JSC)の河野一郎理事長、監督する立場にある下村博文文科相の責任は問われなければならないと書きつつ、
《その背景には関係者が「重鎮」に配慮し、河野氏の諮問機関に過ぎない有識者会議が重要事項を決定する機関となっていた実態がある。》(社説『新国立検証報告 無責任ぶり確認された』2015年9月25日)
と指摘している。
有識者会議は2012年3月にスタート。メンバーは日本ラグビー協会の要職にある森喜朗氏をはじめ、超党派のスポーツ議員連盟に所属する政治家、日本オリンピック委員会や日本体育協会、サッカーなど競技団体の幹部や著名作曲家ら「各界の重鎮」が並び、
《会議は利益代表者による陳情の場と化していた。》(同前)のである。
開閉式の屋根を備えた8万人収容のスタジアムという基本構想は有識者会議から生まれ、総工費は膨れあがった。言うまでもなく森喜朗は清和会と文教族のドンであり、有識者会議スタートの2年後には東京五輪組織委員会の会長に就任している。
こんな時期に下村博文は文科相だったのである。清和会の実行部隊として使い勝手が良かったのだろうが、2015年に勃発した建設費問題では右往左往し、森氏や安倍首相が慌てて動いてザハ案は白紙撤回となった。この年はいろんなことがあった。今話題になっている旧統一教会の名称変更問題と併せて「2015年の下村博文」がどこを向いていたか、あらためて検証するべきなのです。
自己評価が異常に高い
そんなガキの使い感がすごい下村先生ですが、自己評価は異常に高いのも魅力。こんな記事があった。
『安倍派継承 息巻く下村氏』(信濃毎日新聞7月24日)
安倍氏亡きあと下村氏は派閥のトップの座に意欲を示しているというが、その性急な動きが反発を招いているという。下村氏は安倍氏の通夜直後から岸田首相に「清和会をないがしろにするな」とテレビ番組で発言。これに対し、
《派内に「よく言ってくれた」という声はあまり聞かれず、むしろ「まだ葬儀も終わっていないのに…」と評判が悪い。》
ああ、博文先生。
支持率が「0%」だった
そういえば昨年の自民党総裁選に下村氏は出馬を匂わしても周囲はまったく盛り上がらなかった。
圧巻は、昨年8月30日だった。官邸に呼ばれ当時の菅首相から「出馬見送りか、政調会長を辞任するかを迫られ、出馬断念を決断した」(日刊スポーツ)。脅しにあっさり引き下がった下村先生。自民党都連会長時代には都議選でコテンパンに小池百合子氏にやられて辞任したこともあった。永田町の“ケンカ”に弱いのにトップへの野心は隠さない下村先生。
昨秋の「週刊文春」は日経新聞の世論調査で下村博文氏の支持率が「0%」であったことから「ミスター0%」と書いていた。確かに日経(2021年8月30日)、読売(2021年9月6日)での下村氏の数字は0%だった。
しかしである。共同通信(2021年9月5日)の調査では0.6%あったのだ。最近流行のアルコール度数0.5%の「微アルコール」と似ていた。それ以来私は「微アル博文」と呼ぶようになった。
下村博文先生、もう少し酔わせてください。
(プチ鹿島)