「彼らを殺してしまったのは私の罪」…27年潜伏の横井庄一さん、帰国翌年の肉声25時間

終戦後も27年間、米グアム島のジャングルで潜伏を続けた元日本兵・横井庄一さん(1915~97年)が帰国翌年の1973年頃、島での過酷な生活を語った約25時間に及ぶ録音テープ計14本を読売新聞が入手した。72年1月に発見されるまでの間の孤独と絶望、生への執着が本人の肉声で明かされ、「残留日本兵」の心情に迫る資料だ。遺族は研究で役立ててもらうことを検討している。
横井さんの証言を収めたテープは帰国翌年に出版社に体験を語った際の録音とみられ、横井さんの名古屋市の自宅に保管されていた。横井さんはこの中で、島での戦闘やジャングルでの日々を詳細に語っている。
愛知県で洋服職人をしていた横井さんは1941年、召集を受け、44年3月、グアム島へ送られた。ほかの日本兵とともに島内で陣地構築などに従事していた時、米艦隊が現れた。
<撃たれっ放し。アメリカの船が海の深さを測っている。どこから上陸したらいいかと。ところが日本から撃つ砲がない。こんな惨めなことはない><(米軍の)艦砲射撃が1日のうちで20時間を超えた。ご飯を食べる3回やめるだけ。どんどこ撃ちっ放し>
米軍は44年7月21日、グアム島へ上陸し、約3週間後に全島占領を宣言。日本軍は壊滅状態となり、横井さんら生き残った日本兵は、ばらばらになってジャングルに身を潜めた。

<何も食べるものがない。カエルを捕ってきて

出汁
(だし)にとって食べようと>
45年8月、敗戦。島内でも、日本語で書かれたポツダム宣言の内容を伝えるビラが上空からまかれ、投降の呼びかけもあった。
<「戦いは終わったから速やかに帰ってこい」と。はっきりとした日本語で、「武器は捨てて、上半身裸体で帰ってこい」と><降伏したとは思わなかった。アメリカの謀略だと思って>
録音された横井さんの証言は、生い立ちや米軍との戦闘はわずかで、潜伏中の話が8割近くを占める。全体的によどみなく、はっきりとした口調で語っているが、戦友への心情に言及する際には、間を置いてゆっくり話すなど思いをはせている様子がうかがえる。
終戦後も穴を掘ってジャングルに身を隠し、足跡を消しながら転々と逃げ回った横井さん。長く一緒に行動していた2人とある時、小さな誤解からたもとをわかった。久しぶりに2人が暮らす穴を訪れると、並んで死亡し白骨化していた。
<人間の浅ましさにささいなことで別れて。生活を共にしていたら憂き目になることはなかった。見逃して彼らを殺してしまったのは、私の罪。

御霊
(みたま)と骨だけは必ずかえすと誓った>
その後の8年間は、ひとりぼっち。栄養失調と胃潰瘍を患った。イモ畑にもたどり着けず、はいずって穴まで戻る。誰にも頼ることができない生活の中で膨らんだのは、自分の役目や家族への思いだった。
<生きてきたのをわざわざ死ぬのもいまいましい。生きた証人として(グアム島の様子を)訴えるのが私の役割。戦争の後始末をつけさせるために私を生かしているのだと思った>
横井さんが島民に発見されたのは72年1月24日。2月2日に帰国した当時は56歳で、「恥ずかしながら帰ってまいりました」との言葉は流行語になった。11月に13歳下の美保子さん(今年5月に94歳で死去)と結婚した。