現役で最も芸歴が長い落語家で、テレビ草創期の「お笑い三人組」で人気者になった三遊亭金翁(さんゆうてい・きんおう=本名・松本龍典=まつもと・りゅうすけ)さんが、27日未明、亡くなった。93歳だった。
東京生まれ。太平洋戦争の開戦直前の1941年7月に12歳で三代目金馬に入門。NHKで放送されたコメディー番組「お笑い三人組」に出演し、講談の一龍斎貞鳳さん、動物ものまねの三代目江戸家猫八さんとのトリオが人気を呼び、当時の演芸ブームの立役者の一人となった。
67年、三遊亭小金馬から、師匠の名跡を継いで四代目金馬を襲名。2020年に、その名跡を弟子でもある次男に譲り、以降は金翁と名乗った。
当代の金馬さんによると、東京都内の自宅で就寝中に呼吸が止まっているのを家族が発見し、27日午前1時30分頃に死亡が確認されたという。
現役で最も芸歴が長い落語家で、テレビ草創期の「お笑い三人組」で人気者になった三遊亭金翁(さんゆうてい・きんおう、本名・松本龍典=まつもと・りゅうすけ)さんが、27日、亡くなった。93歳だった。
金翁さんは2018年に脳
梗塞
(こうそく)などで一時意識不明になったが翌年に復帰。20年、長年親しまれた「三遊亭金馬」の名跡を弟子でもある次男に譲った。当代の金馬さんによると、東京都内の自宅で就寝中に呼吸が止まっているのを家族が発見し、27日午前1時30分頃に死亡が確認されたという。
東京生まれ。太平洋戦争開戦直前の1941年7月、12歳で三代目金馬に入門。終戦直後の45年8月に三遊亭小金馬の名前で二ツ目に昇進した。
56年から約10年間、NHKで放送されたコメディー番組「お笑い三人組」で、講談の一龍斎貞鳳さん、動物ものまねの三代目江戸家猫八さんとのトリオが人気を呼び、当時の演芸ブームの立役者の一人となった。
58年に真打ちに昇進し、67年には師匠の名跡を継いで四代目金馬を襲名。人なつこい笑顔、わかりやすい語り口で、「花見の
仇討
(あだうち)」「長短」などの
滑稽噺
(こっけいばなし)から「芝浜」「文七
元結
(もっとい)」などの人情噺、「品川心中」などの
廓
(くるわ)噺、「子なさせ地蔵」といった新作までレパートリーは幅広かった。人形の「ター坊」を相棒にした腹話術の余芸でも人気を博した。
1973年に日本演芸家連合の理事長となり、国立演芸場の建設運動に尽力した。2000年に勲四等瑞宝章。落語協会の常任理事、顧問も歴任した。
積み重ねた芸と人柄が一体化、珠玉の味わい
くしゃっとした人なつこい笑顔、わかりやすい語り口。屈指のレパートリーの広さを誇り、国立演芸場の設立にも尽力するなど、演芸界に大きく貢献した。
還暦以降は脳
梗塞
(こうそく)など度々大病を患ったが、大名跡を次男に譲った時は「師匠も勘弁してくれると思う」としみじみと語っていた。それからは肩の荷を下ろしたように、高座を気ままに楽しんでいるようだった。昨年11月に聴いた「権兵衛
狸
(だぬき)」は、だみ声の語りがじんわりと温かく、タヌキと人間が会話するメルヘンチックな
噺
(はなし)がいかにも本当らしく聞こえ、積み重ねた芸と人柄が一体化した珠玉の味わいだった。
最後の寄席出演は今年1月19日、新宿末広亭。12歳から80年超、堂々と落語家人生を全うした。(文化部 森重達裕)
落語協会の柳亭市馬会長のコメント「81年間、第一線で活躍し続け、落語界を引っ張って来られた金翁師匠のお姿は後に続く我々の心の支えであり、誇りでした。師匠の教えは、みんなで受け継いでまいります」