「朱美が作った抹茶オレを飲んだ直後に意識が…」父弟を殺害した足立被告の母親が法廷で語ったこと〈練炭偽装殺人〉

Yahoo!知恵袋では“父親の余命”を質問…弟を実家で殺害した姉48歳の“ケータイ検索履歴”〈大阪・堺市練炭偽装殺人〉 から続く
2018年に大阪府堺市で、糖尿病の治療中だった父親に多量のインスリンを投与して殺害したほか、練炭自殺を装って弟を殺害したなどとして、殺人罪などに問われている姉の足立朱美被告(48)の初公判が、8月22日に大阪地裁で開かれた。足立被告は黙秘の意思表示をし、弁護側は「すべて争う」として無罪を主張。事件当時、水道工事会社の社長だった足立被告の現在の様子や、母親の沈痛な証言などについて、初公判から数日にわたって裁判を傍聴したフリーライターの高橋ユキさんが綴る。(全2回の2回目/ 前編 から続く)
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足立被告が無罪を主張する理由
今回の裁判員裁判では、足立朱美被告の父親・富夫さん(67=当時)と、弟の聖光(まさみつ)さん(40=同)の2人の死について事件性が認められるかどうか、また一連の事件について、足立被告が犯人かどうかが争点である……と裁判長は述べた。審理は時系列順に、まずは富夫さんの死因について、続いて富夫さんと聖光さんの死亡に足立被告が関わったかどうか、そして名誉毀損、器物損壊について進められる予定だ。
足立被告は「特に申し上げることはございません」として、すべての事件について争う姿勢を見せている。初公判では罪状認否に続いて、父親・富夫さんの死因についての審理に入った。そこで、富夫さんは低血糖状態で緊急搬送される前から、糖尿病だけでなくステージ4の大腸がんを患っていたことが明らかにされた。足立被告の弁護人が主張したように、刑事裁判では“黒とはいえないグレー”の場合、有罪とはならない。インスリンの投与が富夫さんの死を早めたかどうかに着目し、審理は進められた。
富夫さんはステージ4の大腸がんを手術で切除したが、のちに肺や肝臓に転移が見つかっていた。強い副作用に苦しんだ富夫さんが抗がん剤治療の中止を望み、放射線治療を行なっていたものの、がんは広がりつつあった。インスリンの多量投与によって意識不明となった2018年1月は、その時期と重なっていた。
検察側は「犯行がなければ、富夫さんは2018年6月には死亡していなかった。がんを患っていた富夫さんはそれでも半年から1年の余命があった」と主張。低血糖脳症となった富夫さんに積極的ながん治療を行うことができず、また寝たきりで衰弱が進行して亡くなるのも早まったという見立てのようだ。一方の弁護側は「富夫さんは低血糖脳症により2018年6月に死亡したのではない。がんやその転移によるものだった」と述べ、がんが進行して亡くなったと主張している。
「夫は残された人生、目一杯生きようと思っていた」
8月25日までの公判では、富夫さんの主治医や、法医学医、腫瘍内科医らが証人出廷したが、専門家らも、富夫さんの死因についての意見は分かれている。主治医と法医学医は「インスリン投与による低血糖脳症が死因」、腫瘍内科医は「がんが死因」との見解を示した。
また富夫さんが、事件前に余命宣告を受けていたかどうかについても、主治医と家族とで見解が分かれた。主治医は「肺の転移が見つかり、根治の可能性がなくなった。その辺から説明しないといけないなと思っていた時期です」と、具体的な話ができていないまま富夫さんが意識不明となったと語ったが、富夫さんの妻は、まったく異なる証言をしたのだ。
「(事件前年である2017年)9月に、お医者さんから、手術も放射線治療も無理と言われ『余生を楽しんでください』みたいな、そういう言い方をされました。それを夫と私は余命宣告と受け取りました。夫は残された人生、目一杯生きようと思っていたと思います」(富夫さんの妻の証言)
さらに妻は、富夫さんが延命も望んでいなかったと述べる。
「俺は絶対延命治療したくない、と言っていました。自分は動ける体でいたい、と、そう言っていました」(同)
富夫さんはインスリン投与による低血糖脳症に陥ったのち、経鼻経管栄養措置が取られていたが、のちに誤嚥性肺炎を起こした。その直後、病院に対して足立被告から「栄養を減らしていくことはできないか」と申し出があったという。 “延命したくない”という富夫さんの意思を尊重したための病院への申し出だったのかどうかは、現時点では分かっていない。
足立被告の母親が証言台で語った
富夫さんの妻は、聖光さんの母親でもあり、また足立被告の母親でもある。被害者家族と被告人の家族という複雑な立場についての苦悩も語った。
「証言を悩まなかったといえば嘘になりますけど、話すべきだという思いに変わりはなかったです。私が話すことによって、朱美と聖光、両方の家族に、どういう結果をもたらすか……。考えると辛かったです。両方の家族にどうやって顔を立てるか、そういうこと、色々考えますと……」(同)
証言台の周辺に衝立が置かれ、様子は傍聴席から見えないが、悩みながら、この日を迎えたことがうかがえる。証人尋問に先立って、検察官や弁護人と面談を行う予定だったようだが、悩んだ末なのか、検察官との面談を当日にキャンセルしたことも法廷で明かされた。
母親の証言を聞きながら、足立被告は目元を…
検察官「同じ日に、弁護士さんとも面談予定でしたね」
富夫さんの妻「はい」
検察官「弁護士さんとの面談の後、私と会う予定でしたね」
富夫さんの妻「耳鳴りがひどくて、弁護士さんのところまでは行けましたが、話している間に体調も悪くなってきまして……」
面談の日は、弁護人とは会ったが、その後予定されていた検察官とは会わず、そのまま証人尋問の日を迎えたという。悩んだ末、足立被告に寄り添うことを決めたのだろうか。
事件当時、足立被告の母親は2階リビングで横たわっており、呂律が回っていなかったという。母親はのちに大阪府警に対し「朱美が作った抹茶オレを飲んだ直後に意識がもうろうとなり、気付いたら聖光が死んでいた」と説明している。
母親の沈痛な証言を聞きながら、足立被告は時折、激しく瞬きをしては、ティッシュで目元を押さえていた。
ブログで綴った「会社継承」の思い
公判では黙秘の姿勢を見せる足立被告だが、逮捕前のインターネット上では饒舌だった。足立被告のものと見られるブログでは、日常が赤裸々に綴られ、父親が興した会社の継承についても内心を明かしている。
〈あれほど悩んで、拒み続けてきた「会社継承」・・・ とうとう、本日、「取締役」となります。。 父親から言われた、とりあえずの年間の売上目標金額は、5000万。 それを下回るようなら、考えなあかんぞと。。〉
〈拒み続けることはできたんですが、誰も継がないと言った時の父親のがっくり感に、負けてしまった。 そらそーですよね。 一代でここまで築き上げて、子供が二人もいてるのに、どっちも継いでくれずに、潰すって、忍びないと思う。〉
父親の思いを優先し、会社を継承したとも読み取れる内容だ。こうした思いを、足立被告は実際に法廷で語るのだろうか。今年11月29日の判決まで計22回の公判が開かれる見込みだ。
(高橋 ユキ)