「おかえり」只見線 3億円の赤字路線、住民・ファンの思い乗せ復活

2011年7月の新潟・福島豪雨の甚大な被害から復旧し、1日に全線で運転を再開したJR只見線。不通区間となっていた会津川口(金山町)―只見(只見町)間では、地元住民らが思い思いに列車を出迎え、鉄道ファンらも集まって祝福ムードに包まれた。あれから11年余。復活には総額約90億円の復旧費用のほか、年間維持費も約3億円かかる見通しだ。赤字路線を、生活・観光路線に切り替えるための新たな挑戦が始まる。【肥沼直寛、磯貝映奈、玉城達郎】
手作りボードで「おかえり」地元児童
午前7時過ぎ、地元住民や鉄道ファンらが集まった只見駅に、小出(新潟県魚沼市)発会津若松(会津若松市)行きの上り1番列車(2両編成)がゆっくりと入ってきた。「おかえり只見線」と書かれた手作りのボードを掲げて待っていたのは只見町の小学2年、角田淳紘さん(8)。初めて只見線を見たのは3歳の時で、月に1回は駅を訪れている。
夏休みには試運転に合わせて週2回ほど通い、両親に買ってもらったカメラで撮影した。写真は1000枚ほどに上り、現像してアルバムに大切に保管している。「車窓から見える景色が大好き。たくさんの人が毎日乗ってくれたらうれしい」と手を振り見送った。
ただ、この日は会津若松発小出行きの下り始発列車(2両編成)が午前7時ごろ、会津坂下町の塔寺―会津坂本間で非常ブレーキが作動して停止し、乗客約210人がバスで移動するトラブルが発生。上下線は約4時間にわたり運転を見合わせた。
福島市の主婦、赤間テルさん(82)は、夫婦でこの列車に乗っていた。記念に鉄路での只見訪問を旅行の日程に組み込んだが、再開した区間はバス移動に。それでも「天気がよくて景色は素晴らしかった」と、奥会津の絶景を堪能した。「今度は鉄道からも不通区間だった景色を見たい」と声を弾ませた。
只見中3年の大束咲来さん(14)は、同級生3人と只見駅に駆けつけ、乗客をもてなす準備に追われていた。自分たちにできることを考え、新聞紙で作ったエコバッグを再開に伴う関連グッズと共に乗客らにプレゼントした。昼休みになると黙々と作り続け、1週間で200個作ったといい、「落ち着いた頃に、私も列車に乗ってみたい」と話していた。
只見小学校の体育館で開かれた記念式典では、県や沿線自治体などの関係者らが再開を祝い、観光や地域振興路線として只見線を活用する決意を述べた。内堀雅雄知事は「只見線が生活や観光、教育などに利用される日本一の地方創生路線となるよう利活用の促進や魅力の発信に全力で取り組む」とあいさつした。維持費などを一部負担し続ける沿線自治体からは覚悟にも似た声が聞かれた。金山町の押部源二郎町長は「只見線を核とした地域活性化、積極的な地域振興策を図る大きなチャンスだ」、只見町の渡部勇夫町長は「さらなる只見線の利用促進と、沿線地域の魅力向上に一層取り組む」と力を込めた。
幕末の衣装で 会津塩沢駅
幕末の風雲児、河井継之助が没した只見町塩沢の会津塩沢駅では、激動の幕末を生き抜いた侍や町人など当時を思い起こすようないでたちで臨時列車に手を振って迎えた。
河井継之助記念館のボランティアスタッフらが企画し、塩沢地区や十島地区の住民約30人が私物の衣装を身にまとい参加した。農民の格好をした角田行雄さん(73)は「待ちに待った再開。また只見線を使ってお出かけできると思うと、喜びもひとしお」と話した。列車を見送ると「乗客も手を振り返してくれて一体感を感じた」と笑顔を見せた。
亡き友人と見送る 千葉から移住の男性
7月に千葉県柏市から只見町に移住した土木作業員、蛯原秀樹さん(41)は2016年2月に亡くなった友人との約束を果たそうと、只見駅で遺影を持ち、乗るはずだった一番列車を見送った。
友人は同県松戸市のIT会社経営、渡辺信広さん。10年以上前に会津若松駅で偶然出会い、同じ鉄道好きとして意気投合した。「穏やかな人で、その後も一緒に旅に出かけた」。仕事の悩みや結婚の相談をすると、父親のように話を聞いてくれた。「只見線が再開したら一緒に乗ろう」と2人で決めていた。
しかし、豪雨で只見線が被災。体が弱い渡辺さんは自分の代わりに鉄道仲間らを沿線に呼び寄せ、住宅の泥かきボランティアをするよう手配。再開を夢見たが、体調が優れずに56歳で亡くなった。
「いつもの座席にいるべき人がいない」と蛯原さんは喪失感に襲われた。奥会津の絶景に魅せられた渡辺さんの後を追い、只見町を初めて訪れたのは18年2月。車窓から飛び込んできたのは、渡辺さんが愛した白銀の世界だった。その年から命日の前後に只見に来るうちに、人の温かさにもほれ込み移住した。
一番列車を見届けた蛯原さんは「只見は人生の終着駅。渡辺さんの分まで、只見の力になりたい」と語った。
「また頑張ります」 トラブルで車内販売中止
2018年から県からの委託で只見線地域コーディネーターを務める只見町の酒井治子さん(41)は、運転再開に向けて情報発信をしたり、住民と県、JR東日本をつなぐ役割を務めたり、奔走してきた。
大学進学を機に地元を離れ、卒業後に再び戻って観光まちづくり協会などで勤務した。2、3年で町を出て行く予定だったが、働き始めると、幼い頃は当たり前だと思っていた自然豊かな森や川の魅力に気付き、この町のために仕事をしようと思った。
しかし、豪雨被害で不通となった只見線は廃線の危機に直面した。JR東からはバスへの転換案を提示されたが、父が旧国鉄の職員で只見線とともに過ごしてきたこともあり、「次の世代に『この町に住んで良かった』と思ってもらえるよう、私たちが頑張る時だ」と考え、使命感で存続を主張。さまざまな企画や署名活動を行った。復旧応援ツアーでは、東京電力福島第1原発事故で被災した参加者からも励ましの言葉をもらい、「絶対に復活させなければ」と覚悟を決めた。
待ち望んだこの日は車内で特産物を販売したり、ガイドをしたりする予定だったが、車両故障のトラブルに見舞われて中止に。「なんだか只見線らしいというか……」と酒井さん。「気持ちをリセットして、また頑張ります」と前を見据えた。
ミニが大活躍 駅前イベント
只見線が一時、上下線で運転を見合わせた中、只見駅前では「ミニ只見線」に乗車できるイベントがあり、会場を盛り上げた。桐蔭学園高校(横浜市)の鉄道研究部が作った只見線をモデルにした5インチゲージ鉄道だ。同部顧問で教諭の山本英門さん(45)は2015年から3年間、只見町ふるさと大使を務めていたため企画した。本物さながらの列車に子どもたちは笑顔で乗車した。11年前の豪雨直後に町内でボランティア活動をした山本さんは「沿線自治体の皆さんの小さな努力の積み重ねが今日につながっているので感慨深い。今後も頑張ってほしい」と話した。