アントニオ猪木さん(本名・猪木寛至=享年79)が1日死去し、政界も悲しみに暮れている。猪木さんは参院議員としても通算2期12年を務め、マット界同様に政界でも独自の存在感を発揮した。“猪木イズム”には多くの議員が共感し、追悼が寄せられている。
猪木さんが日本のみならず世界に衝撃を与えたのは、1990年の湾岸危機での人質解放劇だ。前年、プロレスラーとして初の国会議員となった猪木さんは猛批判される中、「平和の祭典」の開催を表明。日本の航空会社からバクダッド行きを拒否されたため、レフェリーのユセフ・トルコ氏にトルコ航空をチャーターさせ、現地ではイスラム教に入信までした。フセイン大統領側と粘り強い交渉を続け、解放に導いた。
スポーツ平和党の関係者からこの逸話を聞いた元テレビ朝日アナウンサーで自民党の川松真一朗都議(41)は「プロレスで築かれた人脈、危機能力、先を読む力で解放に全力を尽くした。外務省や日本政府からはおきて破り、ハチャメチャだが、猪木さんはこのギャンブルに勝った」とその行動力に驚くしかなかった。
95年には国交のない北朝鮮で平和の祭典を開催するなど通算33回、訪朝を重ねた。2010年に本紙で鈴木宗男氏と対談した際に猪木さんは「大事なのは本音で話ができるパイプを固めること。金正恩はイベント好き」と断言。攻略にはスポーツイベントが有効と力説していた。
2期目に当選した13年には参院の許可なしに訪朝し登院停止30日の懲罰も受けたが、「私は国会のイベント屋。誰が私のマネをできるか」と処分も意に介すことはなかった。国会質疑では「何で俺の(北朝鮮の)チャンネルを使わないのか」と繰り返し政府に迫ったが、当時の安倍政権は猪木氏のパイプを生かすことはできなかった。
猪木さんは長年、解決を見ない北方領土問題でも一計を案じていた。
「イラクもそうだったが視点を変えて、ガチガチのテーブルの上の話ではどうにもならない。平和をテーマにすれば誰も反対できない。プーチンと石井(慧=格闘家)がリングで戦えば」とプーチン氏を五輪金メダリストとの柔道マッチに引きずり出す構想を宗男氏に披露。収賄事件による宗男氏の収監で幻に終わったが、実現していれば北方領土問題や今日のウクライナ侵攻も大きく情勢が変わっていたかもしれない。
前出の川松氏は「イラクのフセイン、キューバのカストロ、北朝鮮の金日成、金正日、金正恩と世界に恐れられている独裁者に会って、交渉してきたのは猪木さんぐらいしかいない。手法は違えど、安倍さんと猪木さんが日本のプレゼンスを高めた。政治家はルールを作る人だが、ないところで先回りして勝負しないといけない。2人にはとても及ばないが、決められる政治を進めていきたい」と“猪木イズム”を継承していくつもりだ。
自民党の小泉進次郎衆院議員(41)は初出馬した09年の衆院選前に「元気があれば何でもできる!」と演説で猪木語録を披露。「ホント名言だと思いますよ。『イノキ、ボンバイエ』を車の中で演説前に鼓舞するために聞いています」と幼少時から“猪木信者”と明かしていた。
元ABCアナウンサーで、日本維新の会の清水貴之参院議員(48)も「いつも笑顔で、誰に対しても丁寧で、ユーモア心に溢れ、夢のスケールは常に大きく。猪木さんの想いを少しでも次世代に繋げられる議員を目指します」とツイートした。
次代を担う40代の政治家にも猪木さんのスピリットは確実に伝わっており、今後もその生きざまは語り継がれることになる。