「屋外では不要」なのにマスク警察の視線が痛い…日本経済の足を引っ張る「忖度マスク」という大問題

岸田文雄首相が「脱マスク」に躍起になっている。9日には世界最高峰の自動車レース・フォーミュラワン(F1)日本グランプリ(三重県鈴鹿サーキット)を視察し、マスクを外してあいさつに立った。世界に広く配信されるF1の映像を通して「日本はもう大丈夫」と伝えたかったのだろうか。
一方で大半の国民は依然、マスク着用を続けている。筆者の感覚値だが脱マスクを先行実施できた国々では着実に経済復興を遂げており、これからは人々が脱マスクに向けた意識をどう持っていくかが課題だと考える。
筆者の住む英国で9月に行われたエリザベス女王国葬の様子を思い出してみると、式典に参加した王室メンバーをはじめ、行進参加の衛兵や軍隊、そして沿道の群衆を含むほぼ全員が“マスク着用なし”で行事に関わった。日本でも関西地区で視聴率20%近くをたたき出したので、自分の住む国とはまったく違う光景を目にした人も多かったのではないだろうか。
英国では今年2月の段階で「陽性でも報告する義務なし」と方針を決定、新型コロナウイルスを「風邪同様の位置づけ」にランクダウンしている。運悪くかかってしまった場合は、医療機関に病状を説明し、オンラインなどで遠隔診療を受けた上で、必要に応じて薬剤投与を受ける体制となっている。
日本国内では5月以降、厚生労働省がマスク着用ルールを明文化するようになった。現在、屋外では季節を問わず「原則不要」、屋内では距離が確保でき会話をほとんど行わない場合を除き、「マスク着用」の方針を打ち出している。
ところが現実には、一般的に日本人が持つとされるある種の「同調意識」から逃れられない人が多いのか、厚労省の期待に反し、脱マスクに踏み込んでいる人はそうそういないように感じる。
筆者は10月初旬、ドイツ人男性と出張がてら日本国内を旅する機会を得た。男性は「日本での習慣を守るよ」と、いかなる活動の際もマスクを欠かさなかった。一方、筆者は元々呼吸器系が弱いこともあり、頻繁にマスクを外さざるを得なかった。
すると必ずといっていいほど不快感を示す視線をどこからか感じた。こうした状況を考えると、人々は「マスクをしていれば、周りの冷たい目から逃れられる」とばかり、ひっそりと着用し続けているようにも感じる。
10月11日には、ついに外国人個人訪日客、いわゆるインバウンドがある程度自由に国内に入れるようになった。厚労省は「マスクを外しても良い」と半年近くも前に方向性を示しているにもかかわらず、多くの人々は「外国人にもマスクをしっかりして日本を歩いてほしい」と願っていることだろう。
英国は今でこそマスク着用者がほとんどゼロとなっているが、「マスク撤廃をどうするか」と人々が迷った時期もあった。その頃の様子を振り返ることで、日本にとって脱マスクに向かう道のりへの参考になるかもしれない。
ロンドンでは2021年7月、新型コロナ対策の大半が終了。この時点では公共交通機関に乗る際や、屋内の公共施設ではマスク着用が必須とされた。その後の経緯をたどってみよう。
厚労省の考えを筆者なりに深読みすると、日本も今年5月時点で「ロンドンの21年夏の状態」になるはずだっただろう。この頃のロンドンでは、繁華街では外を歩く人々からマスクが消えた一方、比較的高齢者の多いエリアでは「これ以上感染者を増やすのは良くない」とばかり、若い住民が積極的にマスク着用を続けていたように感じる。
規制が緩和されたとはいえ、コロナにかかりたくないと考えるお年寄りなどは引き続き、人が大勢集まるパブなどには出入りしなかった。反対に「かかっても重症化しないなら、飲み食べ騒ごう」と考える年代は積極的にレストランや飲み屋に足を運び、これが21年秋以降に起きた急激な経済復興の原動力となった。
やがてこうした「コロナがなんだ、どんどん外へ出かけよう!」という層は積極的に国境を跨(また)ぐ旅行へと行動範囲を広げていった。ラグビー日本代表の欧州遠征を観戦するため、筆者がコロナ禍後初めて国外へ旅行したのもこの頃だった。そこに流れていた空気は、感染しても「お互いさま」という意識だった。インフルエンザも通勤や職場などからもらってしまうわけで、それを誰が悪いなどと問い詰める人はきっといないだろう。
こうした脱マスクによる人々の行動範囲拡大の結果、何が起きたかといえば、航空会社や空港、ホテルなどの旅行に関連する職場で人手が急速に足りなくなった。コロナ禍で雇用を減らした結果、熟練者が不足し、企業は賃金を上げて人集めにいそしんだ。
当然、高い人件費のシワ寄せは旅行客に転嫁させたわけだが、当時の状況を思い出すに「コロナ禍の最中、どこへも出かけられなかったんだから」と財布のヒモは緩みっぱなし。その結果、ホテルが倍額になろうが、レストランのメニューが高騰しようが「喜んで」その金額を払ったわけだ。
脱マスクに緩和した直後に急激なアフターコロナの経済復興が起きたのは、英国だけでなく欧州各国で見られた光景だった。ノーマスクと経済回復のタイミングがたまたま重なっただけだと思われるかもしれないが、感染症対策の象徴であるマスクを外したことが、人々のアクティブな経済活動への心理的ハードルをかなり下げたことは間違いない。
日本でも、今まさに「全国旅行支援」が実施され、支援金や割引措置により、宿泊施設や飲食店などが若干のコストをかけても業績復活できる施策が導入されている。しかし、現在の日本のマスク状況では、欧州のような「脱マスクを起点とする経済復興への足掛かり」にはならなさそうだ。
仮に厚労省のルールに沿って旅行するとしたら、混雑していない屋外の観光地ではマスクなしで歩いてOK、屋内となる美術館や博物館、神社仏閣でも混雑していないのならノーマスクで過ごしても問題ないはず。ところが現実には、依然として施設ごとのローカルルールが存在し、ノーマスクで行動しようものなら、他の入場者が“遠くから”冷たい目で投げかける、あるいはそもそも係員に「マスク着用で」と促されるのがオチだろう。
裾野が広い旅行業界の復活で地方経済がどれだけ回復できるかといった論議に加え、首相をはじめ閣僚の誰かしらが「マスクを外して旅行をしよう」というキャンペーンでも打てば、業界を問わずさまざまな産業セクターで「アフターコロナの時代がついにやってきた」とばかりに経済の回りが良くなる絵も描けたかもしれない。
しかし、現実は「お得に旅行できる良いタイミング」というポイントだけが独り歩きし、社会生活を根本から変えることになった「マスク着用」と「社会的距離」をどうするかという点は置き去りになっている。そう思うと「安く旅行できる」と単視眼的にマスコミが群がった構図は残念でならない。
11月にはサッカーW杯が開幕する。英国ほか欧州の多くの国々では、仕事を放り出してでもサッカー観戦する人々でパブやバーはおそらく満杯になるだろう。もちろんその場にはマスクをしている人などいない。その頃の日本では、引き続きマスクをして声を出してはいけない「黙食」と「無言観戦」を強いられているのだろうか。
だれもが筆者の友人のように、日本に来たらしっかりとマスクを着用してくれる外国人ばかりではない。そんな楽しくない社会状況では経済回復などなしえない。
極論ではあるが「マスク順守が日本経済回復の遅れを生んでいる」という現実が、われわれの前に突き付けられているのではないだろうか。
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(ジャーナリスト さかい もとみ)