「あの時、乗せずにいたら…」 知床遊覧船の元従業員、消えぬ悔い

「僕も含め、全員が甘かったんです。仕事に対する意識の何もかもが」。北海道・知床半島沖での観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」沈没事故の当時、運航会社「知床遊覧船」従業員だった50代の男性が10月中旬、毎日新聞の取材に応じた。男性は事故を振り返った後、痛みをこらえるように顔をゆがめた。事故は23日で発生から半年となる。
男性は2021年夏から、事務員として働いていた。事故が起きた4月23日、桂田精一社長と豊田徳幸船長=死亡=は「天候が悪くなった時点で引き返す」という条件付きで出航を決めたとされる。条件付き出航の場合、受付で事前に乗客へ説明することになっていた。しかしこの日、そうした指示はなかったという。海に出て仕事をした経験がなかった男性は朝の天候にも疑問を感じず、普段通りに乗客を出迎えた。そして、豊田船長ら乗員2人を含めた計26人は誰ひとり、元気な姿で戻らなかった。
それ以来、事故のことを考えない日はない。乗客の家族らには「『申し訳ない』だけでは到底足りない。自分が持っている語彙(ごい)では言い表せない」と声を詰まらせる。ただ「一つ言葉にできるとすれば……」と前置きして言った。「せめて、もっと一人一人の乗船前の様子をしっかり覚えておけば、ご家族に伝えることだけでもできたのに」
午前9時ごろ、最初に受付を訪れたのは、岐阜からの夫婦だった。半年近く前からの予約と気づいてうれしくなり、「ありがとうございます」と伝えた。2番目の男性は、一眼レフカメラと大きな望遠レンズを持っていた。知床で撮影したヒグマの写真を見せてくれ、話が弾んだ。
出航後は事務所にいた。午後0時55分ごろ、天候の悪化に不安を覚えて豊田船長の携帯に電話したが、つながらなかった。午後1時10分過ぎ、「船が傾いている」とカズワンから助けを求める連絡がアマチュア無線で入ったと、同業他社の従業員が駆け込んできた。複数回のやりとりの後、カズワンからの連絡はなくなった。
「早く救助を」。そう願ったこと以外、そこからの記憶はほとんどない。
あの日、受付時間を過ぎて駆け込んできた女性と幼い男の子がいた。この後に出る別の船の予約分と思って受け付けをしていた途中で、カズワンの乗客だと気づいた。慌てて、出航直前の船へ案内した。「あの時、もう間に合いませんと乗せずにいたら」。今も繰り返し思う。
男性は最近、知床遊覧船を退職した。不満に思っていた慢性的な人手不足や、事故後に明らかになった数々の不備を改善できていれば。何より、船を出すのを止められていれば――。消せない悔いが胸の中に残る。「船長一人に責任を押しつけることはできない。僕も、そして社長も、全員に責任がある」。男性はそう話した。【国本愛】