「母親の機嫌を損ねると容赦なく張り手が飛んだ」幼少期から“異常な母子関係”に苦しんだ私の生きづらさの正体

「他人の評価」を軸にして生きるのをやめてからというもの、生きるのが随分と楽になった。
完全に他人の目を気にしなくなったのかと聞かれると、人並みの羞恥心はもちろんあるし、最低限のマナーや礼儀をわきまえるよう注意して相変わらず生きてはいるけれど、少なくとも「誰かから評価されること」を目的に行動することはなくなった。
他人に認められるかどうかで、あるいは誰かの気分次第で振り回されることで自己肯定感が上がったり下がったり、精神が安定したり不安定になったりするたび、ただただ心を消耗して、自分が擦り減って小さくなっていくような気がする。
親子関係に起因する自己像
自分がいつから他者評価に依存していただろうか、と思い起こしてみると、最も古い記憶は、幼少期まで遡る。
母親は本来は優しい人だったが、神経が細いところがあり、私とひとつ年上の兄を1人で育てなくてはならないプレッシャーからか、度々怒号をあげ、私たちを叩いた。そのため私たちは生存戦略として、母親の顔色を常に窺う子供として育った。
当時、私にとっては「母親に承認してもらえるかどうか」がすべてだった。行動の指標はいつも「お母さんに怒られないように●●しておかないといけない」といった強迫的な考えによるものだった。機嫌を損ねてしまうと容赦なく張り手やそこら中にある物が飛んでくるうえ、その後も母親の機嫌が戻るまでは何時間も、ときには何日も緊張状態が継続するため、どうにかして母親に許してもらう必要があり、子供ながらに必死に知恵を絞ったものだ。
兄と一緒に家から締め出されたときも、私は大泣きしながら「お母さんごめんなさい、もうしません。中に入れてください、許してください」とドアに取り縋って許しを乞うた。
そうすると母親は勢いよくドアを開け、私の腕を掴んで家の中に引っ張り込み、ドアの向こうに兄を残したまま鍵をかけた。外から兄の泣き叫ぶ声が聞こえる。素直に謝ることができる、聞き分けのいい子供でいればそれ以上母親の怒りを買わないことは、そうやって学んだ。
頑張り続けているうちに、母親は私を褒めてくれなくなった
私は母親が好きだったから、母親にも私を好きでいてほしかったのだと思う。
幼稚園児のときに、兄が小学校でもらってきたプリントの問題を解いてみると、母親が「あんたはまだ小学校に上がっていないのに、賢いね」と褒めてくれたのをずっと覚えていて、勉強を頑張るようになった。もっと褒めてほしくて、かけっこでもクラスで一番早く走れるようになるまで努力した。
小学2年生のときに描いた絵がコンクールに入賞したとき、母親はとても喜んでくれた。でもそうやって頑張り続けているうちに、母親はまったく私を褒めてくれなくなってしまった。
どちらかというと私のやることなすことすべてに否定的で、例えば読書感想文を読んで「文章が下手でセンスがない」と一蹴されてしまってから私は文章への苦手意識が強まり、それ以降、書いた文章を母親に見せることは一切なくなった。
そういう小さな否定がたくさん積もっていくと、だんだんと自分が無価値な存在に思えてきて、これではいけない、という風にどこまで行ってもゴールの見えない焦燥感や不安に苛まれるようになった。
母親からの承認にだけ執着していた理由
私を構成していたものの正体は、母親からの承認だったのだと今では思う。私が他の誰でもなく母親からの承認にだけ執着していたのは、母親が長らく私にとって、世界のすべてだったためだと思う。父親が家庭にまったく関わらず、兄は兄で母親に隠れていつも私を虐めていたから、当時の私にとって、母親は唯一の肉親とも言うべき存在だった。
確かにこの頃、私にとっての「他者」とは母親に限定されており、例えば学校の友達や先生からどう思われているかはあまり気にならなかったように思う。
むしろ「こんなことを言ったら仲間外れにされるかもしれないからやめておこう」などと考えたり、人間関係を優先して自分の行動を制限したりするのは苦手な方だったし、大人になった今でも変わらず苦手なままだ。
母親は母親で、私を唯一の理解者とみなし、依存していた。私にある程度の自我が芽生え始めた思春期以降は特に、少しでも逆らうような素振りを見せれば過剰に反応していたし、私が外出したり外部のコミュニティと繋がることを極度に嫌い、成長した私から女性性を感じるようになると、それを拒絶する態度さえ示した。私は母親の嫌う私を封印し、母親が認めてくれた私でいようとした。
共依存関係の中で、私はずっと母親のために生きていたのだと思う。私が母親との共依存から抜け出したのは、実家を逃れ、うつとPTSDの症状で倒れて普通には働けなくなり、藁にもすがる思いで心療内科や精神科で4~5年も薬物療法とカウンセリング治療(スキーマ療法)を続けた29歳のときだった。
人格に紐づいた「習性」
母親との共依存関係を終わらせたからといって、私そのものの性質が根本から変わることはない。
私は母親から、恋人など密接な関係にある人へと対象を替えながら、結局は彼ら彼女らの「承認」に飢え、求めてしまう弱さを抱えたまま大人になった。相手が不機嫌に見えたり、少し語気を荒げたりしただけで猛烈な不安に襲われ、恐怖を感じて涙をボロボロ流してしまうから、誰かと密接な関係を築くことが次第に怖くなっていった。
私が幸運だったのは、実家から逃げ出したことで外界とつながり、母親との関係性の異常さを認められたこと、治療に前向きであったこと、自分の習性を理解して「傷付かないために必要なこと」を考え抜く力が残されていたことだと思う。
31歳を迎えた今では「他人からの評価」に依存しないように、「承認されたい」という欲求と適切な距離を取りながら、なんとか自立した生活を送ることができている。
他人からの評価を気にはしつつも「行動や生き方を決める軸にはしない」というのは、生きづらさを抱える多くの人にとって必要なことなのかもしれない、と最近は思っている。
(吉川 ばんび)