スーパー「ライフ」創業者、清水信次名誉会長が死去…売上税構想反対で論陣

スーパーマーケット大手ライフコーポレーションの創業者で、名誉会長の清水信次(しみず・のぶつぐ)氏が10月25日、老衰のため死去した。96歳だった。葬儀は近親者で行った。喪主は妻、久子さん。後日、お別れの会を開く予定。
津市出身。旧陸軍復員後の1945年、大阪市内で両親が営んでいた店を再興し、食料品の卸売業を始めた。56年に前身となる清水実業を設立し、61年、大阪府豊中市にライフ1号店を出店した。以来、関西や関東を中心に全国で約300店を展開し、一代で売上高7000億円を超える国内最大の食品スーパーに育て上げた。
業界団体の日本チェーンストア協会会長に2度就任し、1980年代の売上税構想では反対の論陣を張るなど、業界を代表する論客でもあった。
スーパー初出店から60年を迎えた2021年には代表権を返上して経営の一線を退き、今年5月には取締役を退任していた。
[評伝]ライフ 焼け野原から創業 流通業界をリード

10月25日に96歳で死去したライフコーポレーション創業者の清水信次氏は、戦後の焼け野原からビジネスを起こし、2021年に代表権を返上するまで経営の一線に立ち続け、日本の流通業界をリードしてきた。
清水氏の人生に大きな影響を与えたのは戦争での苦難だった。
旧陸軍へ入隊し、1945年7月には本土防衛特別攻撃隊に入った。米軍の戦車に対し、9月上旬に地雷を持って突撃する予定だった。死を覚悟し、8月に母と面会した際に「これをお墓の中に入れてくれ」と切った爪と髪の毛を渡したという。
2017年の読売新聞のインタビューでは、「俺が大きくなったら親孝行をする、という子どもの魂は、最後まで燃え続けた」と振り返った。
焼け野原となった大阪で、生き延びるために闇市で食品を売ってビジネスを始めた。欧米視察を機に1961年、スーパーマーケットへの参入を決め、大阪府豊中市に1号店を開いた。最初の10年は赤字続きだったが、70年代以降は関西に加えて首都圏にも進出し、業界に確固たる地盤を築いた。
清水氏は、ダイエーの中内功氏、イオンの岡田卓也氏とともに戦後日本の流通業界をリードしてきた。岡田氏は「ともに

切磋琢磨
(せっさたくま)してきた大正生まれの同志だった」と惜しんだ。
辛口の論客でもあった。
日本チェーンストア協会会長だった87年には、当時の中曽根内閣が打ち出した売上税構想の反対運動の先頭に立ち、結果的に廃案に追い込んだ。その後、旧知の間柄だった竹下登氏から首相就任直前に呼び出され、消費税導入への協力を求められた時も「売上税(の問題が)が終わったばかり。1年は我慢して」と伝えたという。
「慢心したらあかん」が口癖で、今年夏頃まで車いすで週に1回出社し、日本の政治や社会に関心を持ち続けていたという。(田畑清二)