「サタンを追い出すために、外に出て勧誘活動をしろ!」39度の高熱でも容赦なし…旧統一教会に身も心も捧げたジャーナリスト(57)が明かす「地獄の布教活動」

旧統一教会の青年支部で1990年から1994年まで「献身(出家)信者」として活動していたジャーナリストの多田文明氏。当時20代の彼がそこで体験したのは、39度の高熱であっても布教活動を命じられる過酷な生活だった。当時の信者たちは、どんな気持ちで布教に励んでいたのか?
多田氏の最新刊『 信じる者は、ダマされる。 元統一教会信者だから書けた「マインドコントロール」の手口 』より一部を抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)
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アイスクリームひとつ自由に買えない「出家生活」
教団に身も心も捧げた行動は、本当に厳しいものです。私も東京の青年支部に1990年から1994年まで献身していました。睡眠時間は3、4時間です。食・住は面倒を見てくれるものの、月に渡されるお金(お小遣い)1万5000円ほどで、青年支部の金銭的事情が厳しいときには無報酬ということもありました。
個人の思いからの行動は厳禁です。すべての行動は上(アべル)の許可を受けなくてはなりません。
アイスクリームを買いに行くにも、「行っていいですか?」と聞かなければなりません。しかし、たいがい「行ってはダメ」と言われます。それは、「自分が食べたい」という動機がもとになっているからです。これが、もし「みんなにも食べさせたいから、買いに行く」であればOKは出ると思いますが、そうしたお金は手元にほとんどありません。
何をするにも報連相が基本であり、上の許可を得て行動しなければならない。これが旧統一教会における信仰生活です。こんなこともありました。ほぼ毎日、終電近くまで繁華街での声がけを行うのですが、
ある朝、39度以上の熱が出てしまいました。起き上がるのもやっとで、「体調が悪い」と上の人間に告げると、「サタンが心に入ったから風邪を引いた」と言われます。「サタンを追い出すために、外に出て勧誘活動をしろ!」と言われました。意識が朦朧とするなかで活動したこともあります。
このように、病気や事故、ケガもサタンが侵入したためであり、本人の不信仰のせいであるとされます。こうした日が続いていくのです。このすべての行動は、合同結婚式への参加を目指すためのことです。
「合同結婚式」への参加に必要な過酷なノルマ
1992年8月25日に韓国のオリンピック・スタジアムで行われた、3万組にもおよぶ合同結婚式は、テレビなどでも大きく取り上げられました。
ここでは、文鮮明教祖によって相手を決められた男女が結婚式を挙げますが、私もその場にいました。それまで一度も会ったことがない日本人女性と韓国で初めて会いました。そうしたカップルが約3万組いるのですが、誰ひとりとして、結びつけられた相手を拒否することなく、合同結婚式に参加します。その異質な光景に、目を奪われた方もいると思います。
合同結婚式には、何もせずに参加できるわけではありません。すでに述べたように、参加するためには、信者としての活動条件が必要です。
伝道における3人の信者獲得と、経済活動(月ごとに与えられたノルマの達成)は必須事項です。しかし、それだけではありません。7日間の断食も必要になります。これは成約断食といって、祝福(合同結婚式)を受けるための条件となっています。
私自身も、前年の1991年9月に、複数の信者とともに成約断食を行いました。しかし、ただ一日中、寝ていていいわけではありません。「普段と変わりなく、伝道、経済の活動をしなければならない」とされていました。だから、水だけを飲み、何も食べずにフラフラな状況でも街頭に立って、人々に声をかけ続けました。あまりのつらさに、「このまま路上で倒れて死んでしまうかもしれない」とさえ思うこともありました。
私は体力的に強かったので大丈夫でしたが、女性のなかには肉体的な限界が来て、終盤に寝込む人もいました。上の人からは、「過去に7日間の断食中に亡くなった人がいる」と聞かされており、命がけの行為でした。私の周囲では亡くなった方はおらず、本当に不幸中の幸いであったと思います。
さらに、参加するにあたっては、140万円の感謝献金も必要です。そのお金を工面するために、みんな奔走します。当時は、こうして合同結婚式の参加資格を得ることができたのです。
合同結婚式に参加しても、すぐに「家庭」は持てない
合同結婚式を前に、講座が行われました。その際、自分の写真を撮影します。この写真が教祖のもとに送られ、相手の女性とカップリングされると聞いていました。
合同結婚式の前月、私が所属する教会で相手の女性の写真が渡されました。日本人女性でした。式の数日前に、教団が用意したチケットを手に韓国に向かいます。そして、8月24日の聖酒式があり、初めてその女性と会いました。
そして、25日に合同結婚式を迎えます。炎天下で、立っているだけでもつらい式だったですが、当時は、ようやくこれまでの活動が報われ、神の子としての道を歩めるという、希望にあふれる思いを持たせられていました。
ただし、結婚式を挙げたからといって、すぐに結婚する(家庭を持つ)わけではありません。結婚式のあとは「聖別期間」なるものもあり、それぞれが所属する部署に戻ります。
そして、一定期間を経て、それぞれの部署からの許可をもらったうえで、家庭を持つ(結婚生活を始める)ことになります。それまでは、これまでどおり、純潔を保たなければなりません。私がいた東京では、献金と信者育成のノルマが忙しく、祝福を受けた人たちが「家庭を持つ」許可は、ほとんど下りることはありませんでした。しばらくして、私は所属する教会の許可を得て、東京から実家がある仙台に戻ります。
というのも、当時、文鮮明教祖から「生まれ故郷に戻って、氏族を伝道しなさい」という指示が出ていたからです。そして、仙台の旧統一教会に通いながら、その活動に従事することになります。一方で、結婚相手となった女性は、教祖の指示で中東地域への海外宣教に赴きました。
「2億ほど稼ぐ人もいましたね」脱法マルチ商法グループ・元リーダーが明かす「法の網をかいくぐる方法」 へ続く
(多田 文明)