沖縄戦体験の語り部、中山きくさん死去 94歳、元白梅学徒

沖縄戦の「白梅学徒隊」の一人で、負傷兵の看護など悲惨な体験を語り継いできた中山きく(なかやま・きく)さんが、12日午後10時21分、がんのため那覇市内の病院で死去した。94歳。平和を願う立場から、沖縄の過重な基地負担にも異を唱えた。南城市佐敷出身。自宅は那覇市安里。通夜は16日午後4時から8時、浦添市前田2の15の1、サンレー中央紫雲閣、告別式は17日午後2時から2時45分、那覇市銘苅3の22、サンレー那覇北紫雲閣でそれぞれ執り行う。喪主は長男章(あきら)さん。
1945年の沖縄戦当時、中山さんは県立第二高等女学校4年生で16歳。第32軍第24師団第一野戦病院(八重瀬町富盛)の補助看護要員として入隊した。
戦後、小学校の教員になったが、亡くなった22人の学友を思い「生きているのが申し訳ない」と口を閉ざしてきた。転機は、49歳で教員を辞め、国家公務員の夫の転勤に伴って広島や長崎に住んでから。多くの被爆者に接し「広島、長崎の被爆、沖縄の地上戦は後世に語り継がなければならない」と思うようになった。
帰郷後、学徒隊の足跡を書籍にまとめ、戦後50年ごろから語り部として活動。白梅同窓会の会長を務め、沖縄戦に動員された9校の元女子学徒有志でつくる「青春を語る会」結成の中心的役割も担った。
戦後60年の節目には「沖縄戦の全女子学徒隊」の発刊に関わり、地上戦の悲惨さを後世に伝えるために尽力した。男子も含めた21校の元学徒らでつくる「元全学徒の会」の共同代表も務めた。
07年の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」では実行委員会に参加した。13年の「4.28『屈辱の日』沖縄大会」、15年の「戦後70年止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」などに登壇し、「二度と沖縄が戦場にならないように危険は取り除かなければ」と訴えた。2015年に沖縄タイムス賞(社会活動賞)受賞。(社会部・島袋晋作)