神戸市中央区の東遊園地であった「1・17のつどい」で、長女志乃さん(当時20歳)を亡くした兵庫県佐用町の児童養護施設指導員、上野政志さん(75)が遺族代表として、ことばを述べた。がれきの中で娘の冷たい足に触れた時の衝撃は28年たっても消えないが、「娘の死から生きていることの素晴らしさを伝えたい」との思いを込めた。
志乃さんは当時、神戸大の2年生。発達科学部で美術を学んでいた。1995年1月17日、下宿先の神戸市灘区のアパートが全壊し、宿題を終え、こたつで友人と寝込んでいた時に犠牲になった。その直前には成人式のために帰省し、家族でトランプや映画鑑賞を楽しみ、16日夕方に駅で「じゃあ、またね」と別れたばかりだった。
上野さんは17日夜、神戸に駆けつけて避難所を回ったが姿はなく、翌朝、アパートのがれきの山を取り除いていると、友人の頭とすぐ横に動かぬ娘の足を見つけた。生きていると信じていたが、一瞬で世界が暗転した。
志乃さんはおとなしいが、家族思いでコツコツと努力をする人だった。仕送りは5万円。生活費のため、複数の飲食店のアルバイトを掛け持ちしていた。「家計に余裕はなかったが、もっと送ってあげればよかった」と今も後悔する。生きていれば48歳。子どもがいて、美術関係の仕事をして働き盛りで……と想像を始めると、心は闇に沈んでいく。
それでも悲しみと向き合い、二十数年間、小学校や大学などで、志乃さんのことを語ってきた。2018年にはアパートのがれきの山から見つけた遺品のパラパラ絵本を出版し、小学校や図書館に寄贈した。こうした活動で、志乃さんが語った人の心の中に生きていると思える経験を何度かした。無念の死を遂げた娘が、今を大切に生きること、命があることの素晴らしさを多くの人に伝えているのだと思えるようになった。
「震災からもう28年ではなく、私にとってはまだ28年。戦争と同じで、伝えるのをやめれば世間から忘れ去られてしまう」。震災を知らない世代が増えたからこそ、請われる限り、志乃さんのことを語り続けたいと今強く思っている。【山本真也】