【日本の宿題】海外戦没者の遺骨収容所で見た遺族たちの姿 “国難”に殉じた英霊に感謝を

先の大戦での海外戦没者は240万人といわれている。戦後、厚労省が中心となって戦没者の遺骨収容を行ってきた。今でも毎年遺骨が帰還しているが、それでもまだ約半数の112万4000柱のご遺骨が残され、祖国・日本に帰国できないままでいる。
政府は2016年、「戦没者遺骨収集推進法」を成立させた。遺骨収容を国の責務とし、推進に関する施策を集中的に実施するものだ。多くの遺骨が帰れない状況で、こうした法律ができたことは大きな前進といえる。
だが、国は集中期間を16年度から24年度までとしており、今年度を入れて残りあと6年だ。その後、遺骨収容そのものが終わるわけではないが、期間内に残りの遺骨を迎えることは不可能である。
私もこれまで、ミャンマー、ニューギニア島、硫黄島など12カ所の戦跡で遺骨収容に参加してきた。遺骨が見つかる様子はさまざまだ。
熱帯の地域では、遺骨は溶けて小さなかけらになっていた。シベリア抑留のあったロシアでは、冷たい土の中で指の骨まで残った完全体で見つかる。ジャングルの洞窟の中では、崩れるように眠っていた。
どんな形であっても共通していることがあった。それは、遺族たちが見つかったご遺骨を大切に扱っていることだ。
土を深く掘り、ポツンと薄茶色の遺骨の一部が出てくると、遺族は「ああー!! 父ちゃん、やっと見つけられたなあ」などと声をかける。遺骨が地上にあげられると、今度はその骨を抱きしめて「父ちゃん、一緒に日本に帰ろうな」と呼びかける。
その遺骨が、本当に肉親の遺骨かどうかは分からない。だが、遺族たちは「誰の親父だろうが、見つかった遺骨は俺たち遺族全員の親父なんだ」と接していた。髪の毛が残ったままの遺骨の頭部をなでて頭髪が一斉に風に舞うと、「親父、ごめんな。ハゲちゃ、かわいそうや」と慌てた遺族や、仏のような形をした喉の骨を「お父ちゃんの仏様だ」と、いとおしそうに磨いていた遺族もいた。
私はそうした遺骨収容の現場を見て、遺骨をまるで生きている家族のように接していることに驚いた。遺族にとって目の前にある「骨」は、決してモノではない。血を分けた肉親そのものなのである。ならば国家にとっても、国難に殉じた国民そのものではないのか。
戦後74年が経過し、戦下の様子を記憶している人も少なくなった。だが、われわれは遺骨収容の集中実施期間が過ぎても、祖国の土に還れないままでいる戦没者のことを忘れてはならない。
自らが死した後の国家を思い散った戦没者。ならば、その死後を大切に弔うことこそが、せめてもの報恩の姿勢であると思う。
■佐波優子(さなみ・ゆうこ) 1979年生まれ。戦後問題ジャーナリスト、チャンネル桜キャスター。陸上自衛隊予備自衛官・陸士長。「大東亜戦争を戦った全ての日本軍将兵の方々に感謝を~9年間の遺骨収集を通じて感じたもの」で、アパグループ「真の近現代史観懸賞論文」最優秀藤誠志賞受賞。慶應義塾大学大学院に在籍し、「無縁遺骨増加問題」を研究。専門は葬祭福祉論、安全保障、戦没者遺骨収集など。著書に『女子と愛国』(祥伝社)。