「私、母親失格です。娘を虐待してます……」カウンセリングルームでそう話すのは、小学4年生の娘との関係に悩む母親。彼女はなぜ虐待をし始めるようになったのか。公認心理師である長谷川博一氏が、その理由を紐解きます。
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小学4年生の娘との関係に悩む母親
令和3年度に全国の児童相談所が対応した児童虐待は20万7659件で、過去最高を更新し続けています。内訳では、身体的虐待が23.7%と前年度減だったのに対し、心理的虐待は60.1%と最も多くなっています。
身体に痕跡などを残しにくい心理的虐待が過半数を占めているのですが、それが子どもの成長にとって好ましくないという認識が広がっていることの表れと理解でき、この点においては啓蒙による一定の成果だと評価できるでしょう。
小学4年生の娘との関係で悩んでいた日奈子さん(仮名)がカウンセリングに訪れました。
日奈子「私、母親失格です。娘を虐待してます……」
「それはたいそうお辛いでしょう」
日奈子「私が全部いけないんです」
「そう思ってしまうんですね。大抵は、自分が悪いとする認識が先にあって生じるものなんですよ」
日奈子「私……、ずっと前から悪い人間でした」
児童虐待に悩む親のほとんどが、強い自己否定感を抱き、その起源は幼少期に遡ることができます。
しかしこの初回面接では、日奈子さんが言う虐待の内容とその経緯について把握することを急ぎました。カウンセラーは守秘義務を有しますが、命を守るためには児童虐待防止法などの法令を優先しなくてはならない場合もあるからです。
包丁で脅して宿題をやらせる母親
「虐待と言われていますが、どんなことでしょうか?」
日奈子「娘に包丁を突き付けて脅しています」
「それは厳しい状況ですね。どんなときに?」
日奈子「毎晩です」
「毎晩、というと?」
日奈子「夕飯終えたあと寝るまで、毎日やってます」
「それをしなくてはならない理由がありそうですね。脅すと言われましたが?」
日奈子「学校で出た宿題をやらないので、『やれっ!』って」
「なるほど。包丁で脅して宿題をやらせようとしているのですね」
日奈子「こうやって持って、娘の頬に向けてます」
「そうすると娘さんは宿題をやりますか?」
日奈子「ええ、なんとか。はじめは固まってましたが、今はおとなしくやってます」
「固まった? 大人しく?」
日奈子「最初ははっという感じでした。でもすぐに虚ろな目になって、静かに……」
担任が連絡帳に記したアドバイスがきっかけで虐待
「その勉強のさせ方は以前からですか?」
日奈子「いや、4年生になってからです。ゴールデンウィーク明けです」
「ということは、それまでは脅さなくても宿題をしていたのですか?」
日奈子「いえ……。それまで宿題のことは気にしていませんでした」
「お母さんが気にしなくてはいけないような、何かきっかけがあったのですね」
娘の亜香里さん(仮名)が4年生に上がったゴールデンウィーク明けの連絡帳に、担任が記した母親へのアドバイスがありました。それを見た瞬間に、日奈子さんの胸は高鳴り、喉元が絞めつけられるような苦しい経験をしたということです。
<連絡帳> 亜香里さんは4月から宿題を1回も提出していません。ご家庭での指導をお願いいたします。
「では、3年生までは宿題をやっていたのでしょうか?」
日奈子「わかりません。担任の先生がゆるい方だったので、私が気づかなかっただけかもしれません」
「去年まではゆるい先生。では新しい担任は、宿題とかいろいろと、きっちり管理しているタイプということですか?」
日奈子「そうみたいです。クラスのお友達のお母さんも、給食が全部食べられなくて娘さん泣いてるって、言ってました……」
口で怒ってもきかなかったから…
「給食もなんですね。去年の先生は?」
日奈子「給食は、残しますって言えば、残してもよかったと思います」
「わかりました。それまでの先生はゆるいタイプだった。ところが大きく方針の違う先生に代わり、児童たちへの指導が厳しくなって、保護者にも家庭で指導してくださいと。宿題のことでそう言われたのがきっかけですね」
日奈子「ええ。それ見た瞬間、自分にスイッチが入っちゃったというか……」
「お母さんは元々自信に乏しいのかもしれません。母親としての自分が全否定されたように感じ、少しでも挽回しなくては、つまり宿題をやらせなくてはというスイッチが入ったようですね」
日奈子「そうです、そうです。せめて宿題だけは。口で怒ってもきかなかったから、台所から包丁持ってきたんです」
「そうしたら、効き目があった……」
日奈子「はい。毎日宿題をやって、出すようになりました」
「先生から何か言われましたか?」
日奈子「ええ。『家庭でのご指導のおかげで』って書いてありました」
「では先生は今(7月)、喜ばしいことが起きたと思っているのですか?」
日奈子「はい」
「しかし母親として悩んでいる」
日奈子「はい、その通りです」
「包丁で脅すのをやめたい……」
「お母さんは、どうしたいですか?」
日奈子「包丁で脅すのをやめたい……」
「それは、なぜ?」
日奈子「娘にとってよいはずありませんから」
「宿題をやらなくても?」
日奈子「宿題はやってほしいけど……」
「宿題をやらない理由は別のところにありそうなので、それとは切り離して考えましょうか」
日奈子「そうなんですね」
「脅すのをやめるか、宿題をしなくなるか、どちらか一つだけを選ぶとしたら、今のお母さんはどちらになりますか?」
日奈子「それはもう、脅すのをやめたいです」
このカウンセリングのあと、母親の依頼を受け、亜香里さんの通う学校に電話をかけ、私と先生たちとの面談予約をとりました。
こういうときに私は、担任、学年主任、教務主任、教頭など、児童に関係するなるべく多くの人に集まってほしいと要請することにしています。多くの先生に共有してもらうことでチームとして取り組んでもらえることに期待してのことですが、様々な先生がいる中、担任1人だけでは心もとない場合があるというのも本音です。
学校側と話し合い、必要に応じて連絡を取り合うことに
翌週の話し合いには4人の先生に加わってもらえました。母親から「包丁のことは伏せてほしい」と頼まれていたので、家庭で大変なことが起きていること、亜香里さんの成長のために今は宿題を出せなくても受け入れるべきこと、などを説明しました。
こういうときに決まって出てくる質問に「他の生徒の手前、特別扱いはどうしたらいいでしょう?」というものがあります。しかしこれを特別扱いとみなすのは正しくなく、個の理解が進んだことにより、それに則した柔軟な教育的配慮を行うものだと解すべきなのです。
「クラス全体では今までと同じようにしていただいて構いません。少なくとも亜香里さんに対しては、期待通りにしなくても咎めたり、母親に指導を促したりしないでください」
私のほうで家族への心理的な支援を継続し、必要に応じて学校と連絡を取り合うことを確認して、この話し合いは終わりました。ほとんどの学校で、丁寧に説明することによって個別対応への協力が得られると感じています。
さて母親ですが、秘密の告白をし、安心が得られたためか、初回カウンセリングの日の夜から虐待(包丁を使った脅し)はなくなりました。そして次のカウンセリングから、自分の幼少期のエピソードを語るようになりました。
日奈子「私の母は、しつけのために包丁を持ち出す人でした。私が言うことをきかないと、私に向けたり、母親自身の腕を切ったりして……」
絶対に母親のようにならないと決めていたのに…
「かわいそうな子どもだったのですね。そんな母親を前にして、当時は自分のことをどう思っていましたか?」
日奈子「私が悪い子だから、お母さんにこんなことをさせてしまうって、そう思ってました」
「本当は母親自身の抱える問題だということが、わかりますか?」
日奈子「今は……、はい」
「それで亜香里さんにはどんな子育てを心がけてきたのでしょう?」
日奈子「絶対に母親のようにならないぞって決めて、わがまま言っても叱らないようにしてきました」
「自分の母親を反面教師にできたんですね」
日奈子「歯を食いしばって頑張ってきました」
「それが、娘さんの担任からの連絡を見て、一瞬で崩れてしまった」
日奈子「そう。何かプッツンとキレたような感じで」
「その後、娘さんの様子、特に虚ろな目や静かな姿はどうなったでしょう?」
日奈子「最初の日は宿題をやろうとしました。やらなくていいよと言ったんですが。でもその次の日からはやらなくなって、少しやんちゃが戻ってきたような気がします」
学校が児童虐待を発見できない背景
母親の言う「虐待」という表面に現れた問題は解消し、このあとしばらくは本質への対処、つまり母親の過去のトラウマを緩和する試みが、カウンセリングの中で試みられることになります。
学校は多くの子どもたちがその生きざまを見せる場です。児童虐待に対しても、発見と対応の最前線の1つとして期待されるところです。
ところが、冒頭に紹介した統計中、児童相談所への経路を見ると、圧倒的に多いのが警察等からの49.7%で、学校(幼稚園と教育委員会を含む)は7.2%に過ぎません。親族や近隣住民が積極的に警察へ通報している状況がうかがえます。
学校が児童虐待を発見できない背景に、心理的虐待が増えていること、その痕跡は子どもの行動特徴として現れ、打撲痕のように目に映るものではないため、他の理由によって生じる子どもの特徴との違いが判別できない困難さがあります。保護者との関係悪化を懸念し、家庭の問題に深入りしないという教育現場の姿勢も関与しているでしょう。
学校の先生は子どもの学校での姿しか見ません。家というブラックボックスの中に入ることのできる心理的支援者と学校が連携することは、児童虐待の問題に学校が資する上でもとても大切なのだと考えます。
付記 本稿で取り上げる事例は、可能な限りご本人の了承を得て、かつ必要に応じて個人が特定されないよう小修正を加えて執筆するものです。
(長谷川 博一)