「やっていない」父ちゃんの言葉信じ続けた家族、逮捕から35年 滋賀・日野町事件

逮捕から約35年。家族は「父ちゃん」の言葉を信じ続けた-。滋賀県日野(ひの)町で昭和59年に酒店経営の女性=当時(69)=を殺害し金庫を奪ったとする強盗殺人罪で無期懲役が確定し、平成23年に病死した阪原弘(ひろむ)元受刑者=同(75)=について、大阪高裁は27日、再審開始を認めた。再審公判にまた一歩近づき、元受刑者の遺族は「本当にうれしい」と笑顔をはじけさせた。
27日午後、大阪市北区の大阪高裁前で、長男の弘次さん(61)は握りしめた決定文を高く掲げた後、支援者らに向けて「ありがとうございました」と深く頭を下げた。すぐに母のつや子さん(85)にも電話で報告。電話口でつや子さんは「(弘次さんたちが)頑張ってくれたからだ」と声を詰まらせたという。
弘次さんはその後、大阪市内での記者会見に臨み、「再審無罪に向けて階段をまた一つ上がることができた」と万感の思いを込めて語った。
「何もやってへん。誰が信じてくれなくても、お前たちだけは信じてくれ」
昭和63年3月。逮捕前日に、任意の取り調べから帰宅した元受刑者は「自白」したことを涙ながらに家族に打ち明けた。警察官から脅迫的な言葉を浴びせられたと家族に説明した。
「やっていないなら、そう言わなければ。私たちも殺人犯の家族になってしまうんやで。ええんか」。家族の説得を受け、翌日は「(自白を)ひっくり返してくる」と家を出たが、そのまま逮捕。帰ってくることはなかった。「真っ暗な気持ちで、これからどうしたらいいんだろうと、うろたえるばかりだった」。当時26歳だった弘次さんはそう振り返る。
つや子さんは、逮捕直後から「出ていけ」などという電話に毎日のように悩まされ、同居していた弘次さんとともに故郷を捨てた。
「裁判所は分かってくれる」。そう願ったが、大津地裁は平成7年に無期懲役を言い渡し、最高裁も12年に上告を退けたため、有罪判決は確定した。
元受刑者は諦めずに再審請求したが、23年に病死。「助けられなかった」。落胆した家族の気持ちをつなぎとめたのが、死後に刑務所から返却された段ボール2箱だ。元受刑者の所持品が入っていた。
「たった2箱。父ちゃんの人生って何やったんやろ。せめて無念は晴らしてあげたい」。弘次さんらは翌年、2度目の再審請求を申し立てた。
「人前に出るのは苦手だった」と話す弘次さん。それでも、家族と分担し、仕事を休んで全国を行脚し、講演や署名活動などを続けてきた。今もふとした瞬間に優しかった父親の姿を思い出す。「本人に言われなくても、父ちゃんは犯人ではないと分かっていた」
検察側がこの日の決定を不服として特別抗告すれば審理は長期化する可能性もある。「高齢の母が生きている間に無罪判決を勝ち取り、父の墓前に報告したい。われわれの時間をいたずらに奪わないでほしい」と語った。