初の7万人超え――。9月16日の「敬老の日」に際して厚労省が発表する全国の「100歳」以上の高齢者数が、過去最高を更新した。平成から令和へと時代が移った2019年度だけでみても、100歳を超えた人と年度内に誕生日を迎える予定者の数は合わせて3万7005人。前年比で優に5千人近く増える計算になるのである。
となれば、将来あなたも仲間入りするかもしれない百寿の世界。中でも達者なのは今も仕事を続ける「現役」の人々だ。
北陸・福井の時計職人・石田要一さんは、今年12月で100歳を迎える。“大きな古時計”さながら、100年近く休むことなく時計修理に勤しんできたという。
福井市にある「石田時計店」へは、“神の手”の評判を聞きつけた人々からの修理依頼が今でも絶えない。
「東京や大阪から直接持ってくるお客さんもいるし、この間は沖縄から宅配便で時計が送られてきたよ」
とは、当の石田さんご本人。中には、博物館で飾られてもおかしくない逸品が届くこともあるそうだ。
「修理した中で一番古い物だと、最近熊本から送られてきた明治5年製の掛け時計かな。亡くなった旦那が大事にしていた時計で、動けば思い出が蘇るという奥さんからの依頼でね。他の店では直らなかったけれど、思い出が詰まっているからどうしてもという時計ばっかりくるんだ。自分が直さないといけない、というような使命感はある。頼られると嬉しいから応えようとするのは、子どもの頃からの気質だね。この年まで続けているのは、どこに出しても直らないからお願いと言われると、なんとかしたくなっちゃうから。それにもう辞め時も分からなくなっているし」
そう苦笑する石田さんは、今でも月に50から100点もの時計を直しているが、1日3点が限界とも言う。
「そりゃ自分の衰えは感じるよ。昔はずっと作業していても問題なかったけど最近は疲れを感じるし、以前よりも足腰が弱くなった気がする。それでもピンセットを持つ手は全く震えることはないし問題ないよ」
作業場での石田さんの手つきは鮮やかなもの。机の周りは歯車やネジなど様々な部品で溢れている。修理できる時計は歯車で動く機械式がメインで、クォーツ式は電子部品が必要だから基本的に扱わない。
「修理する時は、まず壊れている部品と同じものがないかストックから探す。ない場合は似た部品を加工するんだ。昔はこういう修理をしているところは普通にあったんだけど、今では全国でも珍しいんじゃないかな。今まで直せなかった時計は、一つか二つくらいしかなかったと思うよ」(同)
大正8年、1919年に福井県で生まれた石田さんは、15歳で地元の学校を卒業後、福井市内の時計店に見習いとして勤め始めた。
時計に憧れがあったわけではない。親に「時計屋にでもなったら」と勧められたのがきっかけだったが、すぐに頭角を現した。
「時計修理は掛け時計から始めて、目覚まし時計、提げ時計、腕時計という順番で修業する。大きい物からだんだん小さい物を扱えるようにするんだけど、一人前になるまでに5年かかる。僕は器用だったから3年ほど、18歳になるあたりで認められて店の番頭になった。お客さんがわざわざ指名してくれるようになってね。ナイショで他の時計屋の仕事も請け負ったり、結構稼いでいたんよ」(同)
先の大戦で徴兵された際は、職人としての腕をかわれて航空機の整備兵となり、終戦後は30代半ばで地元・福井の百貨店の時計宝飾部の店長に就任。43歳で独立して時計店を開く。46歳の時には県主催の技能競技大会1級時計修理の部で知事表彰を受けるまでになったが、マイスターたる所以の器用さと集中力は強靭な肉体があればこそ。実は80歳で白内障を患い、90歳の頃には腎臓がんになってしまうが、見事克服しているのだ。
再び石田さんが言う。
「目の調子は手術後も問題なくて時計の細かい部分までハッキリ見えるし、がんも放射線治療は高齢だと体がもたないと医者に言われたんだけど、検査をしたら『あなたは70歳代の体力だから問題ない』と言われてね。2カ月近くも入院する予定が、回復が早くて2週間ほどで退院できたから先生も驚いた。3年くらい前は、自宅の階段から落っこちて肋骨を4本くらい折ってしまい2本は肺に刺さっていたんだけど、1週間くらいの入院で済んだ。リハビリをしたらすぐに歩けるようになったから、病院の人たちもびっくりしてたよ」
驚異の生命力としか言いようがないが、数々の“奇跡”は果たして偶然の産物なのだろうか。石田さんの日常を覗けば、それは日々の鍛練に裏打ちされた結果だということがよく分かる。
毎日5時に起床すると、石田さんは自らの手を使って全身マッサージを始める。頭の先から足の指一本一本までを丁寧に圧した後、手を開いたり閉じたりを繰り返す。最も酷使する目は、上下左右に何度も動かす。
「これらの運動を30分かけてやるんだけど、手と頭を同時に動かすことが大事なの。仕事でも手と頭を毎日使うから、ダメにならずに居られるんだと思うよ」
そう語る石田さんはスポーツも大好きで、新しい競技にチャレンジすることも厭(いと)わない。90歳ぐらいからグラウンドゴルフを、一昨年からはスティックリングという、カーリングに似た運動も始めた。極めつきは日本記録を保持する砲丸投げだ。
「3年前の県民スポーツ祭のマスターズ大会で、5メートル39を投げて95歳から99歳の部で日本新記録、翌17年には5メートル58で記録を更新。まだ破られていないんだ。今年も10月にマスターズの大会があるから出場する予定だよ」(同)
元来、砲丸投げは瞬発力が要求されるスポーツといわれる。石田さん曰く、
「もともとはマスターズの男子陸上100メートル走に出る予定だった。男子の最速記録が20秒台だったんで、自分の方が速いんじゃないかと思って家の前で走ってみたら10秒台だったの。それで出場を目指して練習したんだけど、慣れてないから膝を悪くしちゃってね。それで人から勧められて砲丸投げに替えたんだ」
仕事が終われば、軽自動車でスーパーへ買い物に向かうが、持ち前の瞬発力と動体視力で、世間を騒がせる高齢ドライバーの事故とは無縁のハンドル捌(さば)きだ。
ちなみに、奥さんを亡くして以降は買い物から調理までを一人でこなす石田さん。一汁三菜を心掛けるが、お酒好きだとも明かす。
「毎日の晩酌は日本酒をコップ1杯弱くらい。温泉に行けば5、6合飲んじゃうけど普段は暴飲暴食なんてしませんよ。それでも、2週間前に病院で腎臓が腫れていると診断されてしまったので、今は禁酒しているの。僕はお医者さんのいう事はよく聞くからね」
さすが「酒は百薬の長」なのだ。
(2)へつづく
「週刊新潮」2019年9月26日号 掲載