金丸脱税事件 異聞(20)段ボール4箱に入った現金10億円…計数機がオーバーヒートする一幕も【検察vs政界 経済事件記者の備忘録】

【検察vs政界 経済事件記者の備忘録】#20
金丸信は特捜部副部長の熊崎勝彦の取り調べに対し、87年に首相の座に就いた盟友、竹下登のため86年暮れから87年夏にかけて数億円のカネを国会議員らに使ったこと、自宅のタンスやベッドと窓の間の空間で企業や個人から受け取った現金の一部を保管。それが一時10億円もあったことなどを淡々と供述した。
※ ※ ※
ただ、金丸は、92年6月20日に割引債を現金化し、逮捕時は石川県の親戚に預けていた10億円の行方や使途目的についてはしらばくれ、何度も嘘をついた。それもすぐばれてしまう幼稚なものだった。
最初は、92年7月の参院選で半分くらい使った、と弁明し、じゃあ、その議員を調べていいんですね、と切り返されると、台湾の大学に金丸文庫という図書館を設立する資金として寄贈するため、ある人に渡したとまた嘘をついた。
結局、金丸は「裏献金で割引債を購入して資産隠しをしていることがばれやしないかと気になり、順次現金にして隠しておいた方がよいのではないかと思い、まず10億円の割引債を現金にした。その10億円の行き先を突き止められると、資産隠しをしていたことがばれると思い、嘘をついた」と供述した。
長男を通じて親戚に預けたことを認め、特捜部は93年3月17日、石川県の親戚宅の屋根裏部屋に隠されていたカネの入った段ボール箱4箱を押収した。10億円は大金だ。特捜部は金沢地検で現金を確認したが、日銀金沢支店から借りた札の計数機が途中でオーバーヒートする一幕もあった。この10億円の差し押さえは特捜部にとって金丸の脱税の動機解明につながる重要な一歩となった。
熊崎にとって、金丸は人間味のある、愛すべき人物だった。後に「金丸さんが亡くなった時、ちょっとしんみりというか、お墓にお参りしたいくらいの気持ちだった」と振り返った。
その熊崎はその後、特捜部長として証券大手や銀行の総会屋への利益供与事件や大蔵接待汚職事件を摘発。退官後はプロ野球コミッショナーも務めたが、昨年5月に亡くなった。80歳だった。
※ ※ ※
脱税の物証として割引金融債を押さえた検察にとって、もうひとつ、重要な立証ポイントがあった。年度ごとの収入源の特定である。特捜部は内偵捜査で、ゼネコンからの盆暮れに届く定期献金が、蓄財の原資になっているとみていたが、こちらは金丸側の供述がないと、本当のところは、わからなかった。