25年間歩いてきた草津の山は、隅々までわかっているつもりだった。それなのに、噴火はまったく予期していない場所で起きた。2018年1月23日午前10時2分。群馬県西部にある本白根山(標高2171メートル)が突然、黒煙を噴き上げた。有史以来、初めての出来事だった。
ふもとの草津町にある東京工業大の火山観測所で教授を務める野上健治さん(59)は、草津周辺で噴火するのなら活発な動きを見せている白根山(同2160メートル)だと思っていた。その予想は外れた。「草津国際スキー場」に噴石が落下し、男性1人が死亡、11人が負傷する惨事となった。
予知できなかった。噴煙をにらみながら自問自答した。「一体、何が起こったんだ」――。(社会部 竹田迅岐)
「データ集め、命守れ」亡き恩師の教え胸に
群馬・草津温泉に拠点を置く火山学者・野上健治さん(59)が研究の道に分け入ったのは、一人の学者との出会いがきっかけだった。
「新しい教授が来るらしい」。岡山大理学部の学生だった1985年、そんなうわさが駆け巡った。教室に姿を現したのは、火山研究の大家・ 小坂丈予 (おさかじょうよ)さん(2011年に86歳で死去)。東京工業大を退職し、岡山大に赴任してきた。
恰幅 ( かっぷく ) が良く、朗々とした声で講義をする学者だった。その頃、アフリカ・カメルーンの火口湖「ニオス湖」から二酸化炭素が噴出し、1700人が死亡する事故が起きた。湖水に含まれていた大量のガスが 攪拌 (かくはん)され、噴出する原理を理路整然と説明していく。「教科書は使わないし、面白い授業をしてくれる。すごい先生だ」と思った。
師は惨事経験「研究は責務」、その信念に憧れ
さらに国内で語り継がれてきた、あの事故の「生き残り」と知って興味がわいた。1952年、太平洋の海底火山・明神礁の測量をしていた「第五海洋丸」が噴火に巻き込まれ、乗船していた研究者ら31人が死亡した惨事のことだ。偶然、別の観測船で向かうことになり、命拾いしたという。
話題が事故に及ぶと、まくし立てるように早口になった。「火山研究のエキスパートがいっぺんに失われたんだ。研究を続けるのは、生き残った自分の責務だ」。その信念にひかれていった。
伊豆大島、箱根、桜島――。小坂さんの研究室に入り、各地の実地調査に同行させてもらった。火山の一生は長い。一人の研究者が生きている間に噴火は起きないかもしれない。でも、静かな時のデータがなければ、異常の兆候は捉えることができない。「記録を積み上げないと、噴火は予知できない。もう人を死なせてはいけない」。骨の髄までその考えを吸収した。いつしか「ミニ小坂」と呼ばれるようになった。
修士課程の学生だった88年12月、北海道・十勝岳(標高2077メートル)が噴火した。研究室には毎日、現地の火山灰がどっさりと届いた。ビーカーを揺らしながら湯で溶かし、付着物の成分を調べていく。地味な作業だが、こつこつとデータを集めていけば、火山活動の状況が把握できる。3か月間、午前2時まで手を動かし、小坂さんを支えた。
火山噴火予知連絡会の清水洋会長(66)は、90年に雲仙・普賢岳(長崎県)が噴火して間もなく、現場で野上さんと出会い、その大胆な行動に目を見張った。
物理学者の清水さんは、火口の縁に地震計を設置した。しかし、化学が専門の野上さんは、ガスを採取するため火口の中に下りていった。「いつも服は泥にまみれ、ぷんぷんと火山灰の臭いをさせていた。ほしいデータは必ず自分で手に入れる。徹底した現場主義者だった」
野上さんは東工大の博士課程に進学し、93年、草津町にある同大火山観測所に助手として赴任した。年間300万人が訪れる草津温泉は、火山のふもとで発展した街だ。
「噴火するなら白根山」だと思っていた。実際に活発な動きを繰り返し、2004年5月には、火口湖の「湯釜」で変色が起き、14年3月には地殻変動が観測された。
野上さんは足しげく白根山に通った。北側にある噴気地帯まで登り、注射器で火山ガスを採取した。湯釜の湖水をくみ、成分を調べた。噴火につながるわずかな異変も見逃さないつもりだった。
しかし、2・5キロしか離れていない 本白根 (もとしらね)山には数年に一度しか行かなかった。地震や地熱の活動がなく、ガスも出ていない。しかも3000年間、火を噴いた記録はなかった。まさに盲点だった。
予知できず反省、観測範囲広げ機器を新設
「噴火したのは、本白根山。火口はスキー場のすぐ近くです」。18年1月23日午前、スマートフォンから聞こえる草津町幹部の声はうわずっていた。
野上さんが自宅の窓に駆け寄ると、なだらかな山肌から噴煙が立ち上がっていた。まるで灰色の生き物のように見えた。
草津国際スキー場の山頂近くにあるロープウェーの駅には、多数のスキー客が避難し、危険にさらされている。しかし、カメラや地震計で厳重に監視している白根山とは違い、本白根山の観測網は整っていない。火口近くで噴煙を観察しないと、火山活動が拡大するか、収束に向かうかわからない。役場の防災担当者と共にスノーモービルに乗り込み、山を駆け上がった。
進むにつれてゲレンデを覆う火山灰の色は黒さを増していった。「けが人も出ているはずだ。なんで本白根山が噴火したのか」。研究者としての限界を突き付けられた気がした。
野上さんらが向かったロープウェーの駅には、栃木県日光市のプロゴルファー小島謙太郎さん(34)も逃げ込んでいた。
ゲレンデで滑りだそうとしたとき、400メートル先に噴出する黒煙を見た。同時に「ドーン」という衝撃音に襲われた。「1分もたたずに2度目の噴火が起きた。3度目は半分の距離で、黒煙は50メートルの高さまで上がった」
周りには、サッカーボール大の噴石が落下し、ぐさり、ぐさりと雪面に突き刺さった。駅に逃げ込むと、近くにあるゴンドラは灰で真っ黒になり、ウェアを血に染めている人もいた。
野上さんたちは噴火から1時間後、駅にたどり着いた。建物内は停電し、外では風が強まっていた。標高2000メートルを超えるこの場所で夜は越せない。
建物の前に立ち、じっと噴煙を見つめた。火山灰などの噴出物が減り、黒々としていた煙は白く変わっていた。「これは水蒸気爆発だ。噴煙が徐々に減ってきている」。町はその言葉を判断材料にして、下山させることを決意する。午後4時頃、避難していたスキー客らは、スノーモービルや自衛隊ヘリで、ふもとに下ろされていった。
草津を拠点とする火山学者として、噴火に向けた動きは見過ごしてはいけなかった。それなのに、12人が死傷し、さらに多くの人が危険にさらされた。「情けなかった」
なぜ噴火の兆候をつかめなかったのか。研究室で地図を広げる日が続いた。ふと恩師の言葉が浮かんだ。「火山は素直に見るんだ」。もっと広い視野で、しっかり向き合おうと思った。
本白根山の観測データはない。しかしその周囲のデータならある。本白根山の半径25キロ圏内に範囲を広げて、洗いざらい記録を見直すことにした。群馬県嬬恋村に置かれた傾斜計は、微細な傾きの増加をとらえていた。圏内2か所の全地球測位システム(GPS)も、外側に数センチ動いていた。本白根山北西の地下が膨張している――。「そこにたまっているマグマが動き、ガスが噴出した」と仮説を立てた。
野上さんは振り返る。「気づいたのが噴火後だったことは、遅かったかもしれない。しかし、周りで地道にデータをとっていたからこそ、わずかな異変に気づくことができた」。20年12月、気象庁は観測を強化するため、現地に傾斜計を新設した。その後、草津一帯で噴火は起きていない。
海底火山も監視、海面の濁り捉え警報につなぐ
「人の役に立たなきゃ、研究なんて意味はないんだよ」。野上さんは今も恩師の言葉をかみしめている。
今年1月26日、海上保安庁のプロペラ機で、太平洋の上空を飛行していた。月に1回、海保と共同で海底火山を調査している。
青ヶ島の南60キロの上空に差し掛かった時、海面が濁っていることに気づいた。31人の研究者らが命を落としたあの海域だった。
「明神礁が活発化している」。機内で海保職員に伝えた。周辺はカツオなどが集まる豊かな漁場で、船も多い。海保はすぐに航行警報を発令し気象庁も噴火警報を出した。
日本には世界の1割にあたる111の活火山が集中する。しかし、研究は先細りだ。04年の国立大法人化に伴い、火山学のように短期間で成果を上げることが難しい分野に研究費が渡りにくくなった。専門家は40人ほどしかおらず「絶滅危惧種」とやゆされることもある。
かつて野上さんにも「いずれ研究者に」と期待した学生がいた。視野が広く、応用力もあった。「博士課程に進学し、この世界で生きていかないか」と声をかけた。だが「将来を考えたら厳しいですよね」と答えが返ってきた。「もったいない――」。出かかった言葉はのみ込んだ。
一筋の光も見える。自民党の議連は3月、「改正活火山法」の骨子案をまとめた。観測や調査研究を一元的に進める組織を作り、人材育成策も盛り込んだ。今国会での成立を目指している。
野上さんは今も、草津町にある東工大の火山観測所を仕事場にしている。3月のある日、桜島から火山灰が届いた。かつて恩師の研究室にいたときと同じように、ビーカーの湯で溶かし、付着物を調べる。
傍らに研究のバトンを渡す弟子はいない。だが手は止めない。いつか若い研究者が、このデータを活用してくれることに願いを託しているから。
竹田迅岐記者 たけだ・はやき 2019年入社。前橋支局、富山支局を経て、昨年9月から東京社会部。前橋時代は、草津温泉にもよく通った。取材を終えて、噴火リスクのある火山と共存する難しさを考えさせられた。36歳。