月刊「文藝春秋」の名物政治コラム「赤坂太郎」。2023年5月号「『サミット後解散』へのカウントダウン」より一部を転載します。
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「いやあ、良かったよ!」
長いトンネルを抜けると、そこは春爛漫だったのか。岸田文雄内閣の支持率が季節の移ろいと連動するかの如く、3月から上向きに転じている。
日韓首脳会談とウクライナへの電撃訪問で「外交の岸田」をアピールした効果ばかりではない。年度の節目とコロナ禍の収束傾向が重なり、解放感を含んだ空気に変わってきたことも不可視の追い風になっている。加えて、国会で経済安保担当相の高市早苗が袋叩きに遭ったことも、岸田にとっては「漁夫の利」となった。
そんな岸田の胸の内では、電撃解散へのカウントダウンが始まっている。
「いやあ、良かったよ!」。岸田は3月16日~17日に来日した韓国大統領の尹錫悦との会談後、上機嫌で周辺にこう漏らした。良かったというのは会談が成功したからではない。その前後に実施された新聞テレビ各社の世論調査で、内閣支持率が揃って上昇したからだ。
岸田が最も注視していたのは、与党支持層における内閣支持率の推移だった。この数字が70%を超えなければ選挙は苦戦を余儀なくされることは、過去のデータが証明している。今回、与党支持層の内閣支持率はNHKで69%、共同通信も同水準をマークした。まだ70%を超えていないものの、昨年夏以降はダダ下がりで一時は50%台にまで落ち込んでいたことを思い起こせば、見違えるようだ。
岸田は腹心で官房副長官の木原誠二と共に、数字の変化に目を凝らしてきた。とりわけ気にかけてきたのが、俗に言う「岩盤支持層」の行方である。岸田周辺は「自民党支持層の内閣支持率を上げていくには、かつて安倍晋三政権を支えた保守傾向の強い有権者を引き戻すしかない」と見定める。
そのため、韓国との交渉は、ガラス細工のように細心の注意を払わなければならない。文在寅政権時代、自衛隊機へのレーダー照射事件や「盗人猛々しい」と貶されたいきさつがある。嫌韓派の多い岩盤支持層が「岸田は韓国に媚びている」と受け止めれば、一挙に支持率が低下する。岸田は尹から再三のラブコールを受けながらも、素っ気ない態度を取り続けた。昨年秋に外務省が日韓首脳会談のセットに動いたときも、岸田は「それで支持率が落ちたらどうしてくれるんだ!」と激怒したほどである。
しかし、米国大統領のジョー・バイデンから「日韓が関係正常化してくれなければ困る」と促され、岸田も重い腰を上げた。日米同盟、韓米同盟は「双子の同盟」である。日韓関係が脆弱なままでは、米国の北東アジア戦略の足かせになる。岸田は米国と岩盤支持層の両方を納得させるため、二律背反の最適解を導き出すことを求められた。
今回の日韓首脳会談では、いわゆる徴用工問題の解決策として、以下のようなスキームが確認された。韓国大法院(最高裁)が日本企業に支払いを命じた賠償金の相当額を、韓国政府傘下の財団が支払う「第三者弁済」のかたちをとる。一方、財団は、韓国の国内法上、弁済分を事後に日本企業に請求できる「求償権」を手にする。この解決策は韓国側が提案したことになっているが、昨年末から日韓の外交当局が水面下ですり合わせを重ねてきたことは公然の秘密である。
岸田は岩盤支持層対策として、保守派論客の代表格であるジャーナリストの櫻井よしこにも根回しを怠らなかった。「韓国との交渉を進めて行きますが、ご理解をいただければと思います」。
日韓両政府は、財団の求償権行使は想定していないとの見解で一致している。だが、相手は政権が変わるたびにゴールポストを動かしてきた国である。実際、韓国の野党代表は「5年の大統領任期後は、国の政策の最終決定権者は別の人間になる。誰が今、確実なことを言えるのか」と牽制しており、将来に不安要素を残している。
高市早苗のネトウヨバブル崩壊
日韓首脳会談のさなか、国会では放送法の政治的公平性に関する行政文書を「捏造」と断じた高市が野党の標的と化していた。より正確に言えば、高市は自ら標的を作り出してオウンゴールを積み上げていた。「怪文書」「不正確な捏造」「信用できないなら質問しないで」……口を開く度に自爆していく。
これに高みの見物を決め込んでいたのは、ほかならぬ岸田だった。
「総務省において精査する必要がある。従来の解釈は変わっておらず、報道の自由への介入との指摘は当たらない」と、木で鼻を括ったような答弁に終始。
しかも総務相の松本剛明は早々と「全て総務省の行政文書である」と認めてしまったのだ。これには裏がある。もともと高市を快く思っていない自民党副総裁の麻生太郎が、自らの派閥に所属する松本を「早く認めてしまったほうがよい」と使嗾したとの情報が、麻生周辺から漏れ伝わる。
自民党の閣僚経験者は「本来は重要な問題なのに、高市と立憲民主党の小西洋之のバトルに矮小化されてしまった。どっちもどっちだが、小西は『安倍の負の遺産』を叩いているだけ。その結果、岸田政権が相対的に浮上している」と見立てる。その通り、内閣支持率は上昇し、小西は結果として岸田に追い風を送っていたことになる。
面白くないのは立憲民主党代表の泉健太である。「しょせん小西が1人でやったことだし、もういいよ」と突き放す。かくして、放送法の解釈を巡る重大な問題は孤立した者同士の醜い活劇に変質してしまったのだ。
もともと高市は、安倍がポンプで膨らませた空気人形でしかなかった。一昨年8月、自民党総裁選への出馬を真っ先に表明して、高市は名を上げた。安倍は当初、現職首相の菅義偉が続投するなら支援する腹積もりで、いったんは高市支援を断る。だが、菅の足元が揺らぎ始めると、安倍は高市を全面的に推し、安倍派を中心に票集めに奔走した。さりとて高市が宰相の器ではないことは、安倍も見切っていた。高市支持票をある程度固めたうえで、決選投票でその票を岸田に乗せ、岸田に恩を売って政権に影響力を発揮する……これが基本戦略だった。要するに、高市はその目的達成の手段に過ぎなかった。
だが、保守派の受け止めは違った。「高市が日本を救う」。そう勘違いした層がいわゆるネトウヨを中心に少なくない。そのバブルが今回ようやく弾けたわけだ。
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月刊「文藝春秋」の名物政治コラム 「赤坂太郎」全文 は、「文藝春秋」2023年5月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されている。
(赤坂 太郎/文藝春秋 2023年5月号)