戦闘が続くアフリカ北東部のスーダンから退避した認定NPO法人「ロシナンテス」(北九州市小倉北区)の川原尚行理事長が2日、市役所で武内和久市長と面会した。川原理事長は「市民の皆さんの励ましの声が届き、『頑張らないかんな』という気持ちになった」と感謝し、「スーダンの平和をぜひ皆さんで願ってほしい」と訴えた。
川原さんは、4月15日に首都ハルツームで軍事衝突が始まってから約半月の間に現地で体験したことなどを報告。「今回は本当に大変だった。命を失うかもしれないと思っていたので、妻や子どもに生きて会えてうれしい」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。
川原さんは約20年前からスーダンで医療支援を続けており、「内戦で悪いイメージもあるかもしれないが、スーダンの人は本当に心優しい。スーダンの復興のためにもまずは停戦が必要。市民の皆さんにも平和への働きかけをお願いしたい」と語った。
川原さんと10年来の親交があるという武内市長は「よくご無事でいてくれました。川原さんがもう一度スーダンに足を踏み入れ、復興を手助けできるプロセスに進めるよう、北九州市民全員で応援していきたい」と話した。
その後、川原さんは市役所で記者会見し、現地の窮状と支援の必要性を訴えた。【日向米華】
「諦めるということは全くない」
記者会見での主な一問一答は以下の通り。
――北九州市に戻った時の気持ちはどうだったか。
◆緊張が解けた感じだった。北九州にいる母に会え、父に線香をあげることもできた。母が作ったタケノコ料理を食べた時は「ああ地元に帰ってきたな」とほっとした。北九州の方からも多くの励ましの言葉をいただき、本当に励みになった。
――医療支援活動を続けてきたスーダンで、戦闘が激化していることをどう受け止めているか。
◆愛すべきスーダンの方々が苦しんでいるのを見るのは本当につらい。今朝、活動している地域から電話があり「昨年建てた学校や、以前作った給水所はしっかり運営しているから大丈夫だ」と話してくれた。本当にゼロになったわけではない。作った施設も残っていて、スーダンの方との関係もずっとある。我々がいなくても、しっかりやってくれている。
――4月23日に約30時間運転して(自衛隊機が待つ)ポートスーダンまで移動したと聞いた。心が折れそうな瞬間や危険な思いをしたことはあったか。
◆退避前までいろんな方面と情報のやり取りがあり、自分自身が全く寝ていなかった。当初はその日のうちに着く予定だったが、1000人規模で動くので時間がかかった。途中泊まるのも危険で、徹夜で運転しなければいけないと分かった瞬間が一番つらかった。
道中、食事をとろうと注文した時に、兵士が走ってきて「この地域が危ないという報告を受けた。すぐに車に乗ってくれ」と言われた。怖い思いをさせてはいけないと、一緒に移動していた子どもや母親を笑顔で車に誘導したが、内心はすごく緊張した。
――志半ばでスーダンから日本に戻らなければいけない状態になった。
◆志半ばとは思っていない。スーダンのために志の炎は逆に燃え盛っている。これで諦めるということは全くない。地域の村の方がしっかりと学校や給水施設を運用している。それはありがたいし、お任せしたい。本当にどん底に落ちたからこそ、またできることがある。これからのことも準備しながら、いつか平和がきたら準備したことをスーダンでやりたい。
今年は日本でG7サミット(主要7カ国首脳会議)があり、日本は議長国を務める。ぜひスーダンのことを議題に挙げ、スーダンでの停戦に向けて各国に働きかけをしてほしい。