在留資格がない「日本育ちの子ども」が直面する“報われない現実”とは…? 「日本の入管」問題を考える

ニュースでわかったつもりでいたけど、映画などの作品でさらに知らされることがある。
たとえば入管問題では『東京クルド』(日向史有監督)と『マイスモールランド』(川和田恵真監督)。前者はドキュメンタリー映画で、後者はドラマ。
『東京クルド』では幼い頃から日本で育ち、日本人より日本語が流ちょうなクルド人の青年2人が「仮放免」という立場だった。「仮放免」は在留資格のない外国人が、入管での「収容」を一時的に解かれた状態のことを指す。働くことは許されず、健康保険も適用されない。県境を越えた移動は制限される。そして入管にいつ収容されるかわからない。
懸命に生きようとする人への仕打ち
次のシーンが忘れられない。
「仕事してなかったら、どうやって生きていけばいいの?」というクルド人青年に入管職員は答える。「それは、私たちはどうすることもできないよ。あなたたちで、どうにかして」。在留資格を求めると「帰ればいいんだよ。他の国行ってよ」と嘲笑交じりに言われる。彼らの両親は住んでいた国での迫害を逃れて日本にやってきた。帰れば命の危険がある。そもそも日本の難民認定率は他国に比べて異常に低い。1%もない。
『東京クルド』は5年以上にわたって取材された映画だというが、そこに映るのは「救いを求め懸命に生きようとする人びとに対するこの国の差別的な仕打ち」(パンフレット)であった。進学などさまざまな夢が絶たれていた。
続いて『マイスモールランド』。クルド人の女子高生・サーリャを嵐莉菜さんが演じていた。
進学は白紙、バイトは不法就労に
サーリャの父も住んでいた国の弾圧から逃れて日本で暮らしていた。そんなある日、父は入管から難民申請が不認定となったことを言い渡され、在留資格を失い仮放免となる。影響は家族にも及ぶ。
サーリャの進学は白紙となり進学のためにしていたバイトは「不法就労」となる。県境を越えた移動は制限されるので思いを寄せている人にも会いに行けない。同世代の日本人と変わらない普通の高校生活を送ってきたのに一気に暗転してしまう。生活費の工面もしなければならない。
学校の先生はサーリャに「頑張れ」と言うのだけど「もう頑張ってる……」とつぶやくしかない。いくら努力しても報われない現実があることに観客は気づく。
こうして作品としていろいろ描かれると入管問題が切に伝わってきた。
では現実はどうか。
先週末、入管難民法改正案が衆院法務委員会で、自民、公明、日本維新の会、国民民主の与野党4党の賛成で可決された。改正案は、不法滞在などで強制退去を命じられても本国送還を拒む人の長期収容の解消が狙い、だという。3回目の難民申請以降は「難民認定すべき相当の理由」を示さなければ送還する。
子どもの生活が「国会対策」に
《「法案をこのまま通すのは無辜(むこ)の人に死刑執行ボタンを押すこと」。入管難民法改正案を可決した衆院法務委員会の参考人質疑では専門家から、こんな警告もあったが、ほぼ原案通りの決定となった。支援団体からは「人々の命と権利が守れない」との声が上がっている。》(東京新聞4月29日)
今回の改正案では注目しなければいけない部分がたくさんあるが、先述した映画2本の内容からいうと「子どもの保護」もそうだ。
政府・与党は当初、日本で生まれ育ちながらも在留資格がない子どもらに在留特別許可を与える方向で検討していた。しかし立憲民主党が27日に修正案を受け入れないと決めたことを受け、白紙に戻す方針となった。
《だが、ことは子どもの生活と将来に関わる問題だ。政党間の対立を超え、政府は子どもの人権を最優先に許可を与えるべきだ。》(信濃毎日新聞4月28日)
子どもの生活も国会対策にしてよいのだろうか?
入管制度は「憲法の例外地帯」
この記事を書いた信濃毎日新聞では、2021年7月4日の紙面に載っていた『入管施設への収容 憲法の「例外地帯」にするな』という論説委員のコラムが印象深かった。そもそも入管制度とは何かが詳しく書かれていた。
きっかけは戦後にさかのぼる。1947年5月2日、現憲法が施行される前日に「外国人登録令」(外登令)が制定された。その核心は、日本が植民地支配した朝鮮半島の出身者を「追い返すための仕組み」だった。立案したのは内務省。
《戦前の入管行政は、内務省が管轄する警察が中核を担い、特別高等警察(特高)が朝鮮人を取り締まった。治安や秩序を脅かす者として危険視するそのまなざしが、戦後の入管制度の裏側に貼りついている。》(同記事)
日本の敗戦後に在日朝鮮人の大半は朝鮮半島に帰ったが、南北に分断された現地や朝鮮戦争の勃発でやむなく日本に戻る人が相次いだ。
《日本政府はその人々に手を差しのべるどころか、不法入国した密航者として厳しく取り締まった。彼らを朝鮮半島へ」送り返す拠点として長崎に設けた大村収容所(現在の大村入国管理センター)が、収容施設の始まりだ。》(同記事)
入管施設への収容を『憲法の「例外地帯」にするな』というタイトルは、現憲法が施行される前日に外国人登録令が制定され、ゆがんだまま今日まで及んでいるという意味である。
東京五輪をきっかけに「排除」
ちなみに外国人を「治安や秩序を脅かす者として危険視するそのまなざし」は昔の話ではない。 『ルポ入管――絶望の外国人収容施設』(平野雄吾) には近年、「仮放免」の許可を出さない傾向が強まっているとある。こうしたグレーゾーンが狭まる転機は2013年の東京五輪の開催決定だった。
外国人観光客の増加が見込まれる中、入管当局は水際のテロ対策と共に、非正規滞在者の排除を掲げ始める。「我が国社会に不安を与える外国人」と位置付けたのだ。「中でも目を付けられたのが仮放免者」だったという。
本日5月2日は「外国人登録令」(外登令)が制定された日である。もう一度この歴史について、そのあとに続く現状について、考えてみる機会では。
(プチ鹿島)