「これは酔っ払いの寝込みではない」奥多摩の山頂で57歳男性が泥酔→遭難…元山岳救助隊員が語る“けしからん登山客”の正体

「親グマが猛烈なスピードで駆け降りてきて…」「前足が顔面を襲った」奥多摩の山道で起きた“ツキノワグマ遭遇事件”の顛末 から続く
奥多摩は「東京の山」という手軽なイメージもあって、ジーパン、スニーカーなどで、運動などあまりしたことのない人まで出かけてくる。ところが、奥多摩に来る登山者にもあまり知られていないが、青梅警察署管内の山岳遭難事故だけでも年間40~50件前後発生し、死者・行方不明者は平均5~6人に上る。これに五日市警察署、高尾警察署などを合計すれば、東京都の山で発生する山岳事故は100件ほど。死者・行方不明者も10人弱になるという。
ここでは、20年間、警視庁青梅警察署山岳救助隊を率いてきた金邦夫(こん・くにお)氏が、実際に取り扱った遭難の実態と検証を綴った著書『 侮るな東京の山 新編奥多摩山岳救助隊日誌 』(山と溪谷社)より一部を抜粋。登山中の飲酒の危険性について紹介する。(全4回の4回目/ 3回目 から続く)
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行動中の飲酒は禁物
山に登る人は男女を問わず一様に酒が好きなようだ。シーズン中の奥多摩は土曜日、 日曜日の夕方ともなると、どの飲み屋さんも下山してきた登山客でいっぱいだ。
登山者にも行きつけの飲み屋さんがあるらしく、餃子屋、焼鳥屋、蕎麦屋、スナックなどで打ち上げ、下山祝いを派手にぶち上げる。ほとんどが中高年者であることは言うまでもない。
山に登る前から、これを楽しみにしている人もいる。疲れた体にアルコールが入ることによって1日の行動の喜びが倍加する。
ご多分にもれず我が警視庁山岳会も酒好きが多い。月1回の集会が終われば、みんなで居酒屋へ直行する。そしてああでもない、こうでもないと、山の議論を戦わせるのだ。また、年に2回行なう合宿なども、酒がなければはじまらない。ザイルの重さは感じるが、酒の重さは感じない者もいる。4リットルの焼酎を平気でベースキャンプまで担ぎ上げる。そして1日の岩登り、また雪山の縦走などで疲れた体をアルコールによって内側から温め、狭いテントの中で岳友と快い疲労感に酔うのだ。酒は1日の疲れをとり、快適な睡眠を約束してくれる。ただ飲みすぎなければの話だが……。
注意力も散漫になり、事故を引き起こすことも
もちろん行動中の飲酒は厳禁だ。酒が人体に与える影響について、学問的なことは知らないが、酒を飲んで車を運転して交通事故を起こすドライバーをいやというほど見ているし、酒気を帯びて車を運転すれば警察官に捕まり処分されるのだから、危険がともなう山において、酒を飲んで行動していいはずはない。アルコールは神経をマヒさせ、注意力も散漫になる。また心臓にも影響し、鼓動が早くなりすぐ息が上がる。
事故に直結する状態になることは確かだ。全国的にみてもアルコールの入った状態で事故を起こしたという報告も多い。
たまに奥多摩の山でも、山頂において乾杯している光景を見受けることがある。行動中の飲酒は厳に慎み、下山してから思いっきり飲んでほしいものだ。
事故の連絡は夕方が最も多い
土曜日、日曜日の朝、登山者で満員に膨れ上がったバスを、私は山岳救助隊のある奥多摩交番の中から見送る。みんな事故なく下山してくれることを祈りながら。
そして夕方再び満員で帰ってくるバスを見るとホッとした気持ちになる。事故の連絡が入るのは夕方が最も多いからだ。
氷川まで歩いてくる登山者もいる。重い登山靴を引きずり、疲れ切って下りてきた登山者が交番前のスーパーの自動販売機にコインを入れて「ゴトゴトン!」と大きな缶ビールを出し、うまそうに飲んでいる姿がよく見受けられる。「ご苦労さん」と思わず声をかけたくなる。
山頂直下で酩酊
1998年8月11日、午前10時59分「酔っ払いの寝込み」と110番が入った。奥多摩交番で待機していた私と平山救助隊長がパトカーで現場に向かった。「真昼間から酔っ払いとはどういうことだ」と、日原川の大沢マス釣場近くの公衆電話のところに急行した。そこには登山姿の訴出人であるSさんが待っていた。
車から降りて事情を聞くと、Sさんは今朝早く、鳩ノ巣から川苔山に登山した。山頂で少し休み、ウスバ尾根を百尋ノ滝方向に下山を開始した。午前9時30分ごろ、山頂から200メートルほど下った尾根上の、登山道から少し外れた北側の斜面に、男性登山者が仰向けに寝ており、大きないびきをかいていた。いくら呼んでも返事はなく、強い酒の臭気がしたという。ちょっと不審であったためSさんは急いで下山し公衆電話で110番したというものであった。
「これは単なる酔っ払いの寝込みなどではない。遭難事故だぞ」と判断し、110番に概要を説明して山岳救助隊が出動する旨を連絡した。私と平山救助隊長はいったん奥多摩交番に引き返し、山岳救助隊を召集した。
大声で呼んだり、体を揺すっても反応がない遭難者
とりあえず私と平山救助隊長は先発隊として塩地谷から入山することとした。山岳救助車に資材を積み込み、川乗林道を終点まで飛ばした。塩地谷出合に車を停めて、丸山を回り込み、仕事道を走るように登って、曲ヶ谷北峰に出た。119番にも転送されたとみえて、消防庁のヘリコプターが出て、川苔山頂付近を旋回している。私たちは川苔山頂に急いだ。
山頂ではちょうど昼食時なので大勢の登山者が弁当を開いていた。ウスバ尾根は川苔山頂から西側に急激に落ち込む尾根だ。尾根は防火帯として広く刈り込んでいる。
急なつづら折りの登山道を飛ぶように下る。傾斜は徐々に落ち、両側は鬱蒼とした広葉樹林帯となる。消防のヘリは尾根の真上でホバリングし、航空隊員がホイストで下降するのが見えた。
現場に着くと、尾根上の少し平らな登山道にビニールシートが敷いてあり、そこから3メートルほど下の北側斜面に遭難者は転げ落ち、仰向けに横たわっている。すでに消防の航空隊員2名も到着して遭難者を覗き込んでいた。
遭難者は大きないびきをかき、いくら大声で呼んでも、体を揺すっても反応がない。
平山救助隊長は無線で警視庁に報告を入れ、私と消防隊員とで遭難者を担架に乗せた。
焼酎2合瓶と缶酎ハイの空き缶5個を飲酒
まわりの木の丈が高いため、この現場からはヘリに吊り上げることはできない。100メートルほど下の尾根上が木々も切り開けている。担架をそこまで運ぶことにした。
少ない人数で足場の悪い山道を担架搬送することは容易ではない。大汗をかきながら搬送を終えると、ホバリングしているヘリからホイストが下降してきた。担架をホイストに着装すると、もの凄い風圧のなか、担架は吊り上げられヘリの中に収容された。
2名の消防航空隊員もそれぞれホイストで吊り上げられて中に消えると、ヘリは大きく旋回し川苔山から飛び去っていった。
しばらくすると、百尋ノ滝から横ヶ谷沿いに登ってきた後発の山岳救助隊員が続々と到着したが、遭難者をヘリで搬送してしまったあとであった。とりあえず現場まで戻り、遭難者の荷物を確認するとザックの中に健康保険証が入っており、遭難者は神奈川県K市居住の会社員Kさん(57歳)らしいことがわかった。登山道に敷いたシートのそばには、空になった焼酎2合瓶、缶酎ハイの空き缶5個が転がっていた。また2メートルほど下の斜面には嘔吐(おうと)したと思われる吐瀉物(としゃぶつ)があった。
川苔山の風流使者
なぜKさんはこんな山頂直下でゲロを吐くまで酒を飲んだのだろう。酩酊して、下山時のことは考えなかったのだろうか。
あたりはコナラ、カラマツなどの木々に囲まれ、夏の日差しは届かない。サワサワと風が鳴って下界と違う別天地である。そこにシートを敷き、ひとり酒を飲みながら風雅の境地に浸ったのだろうか。
「幾山河越えさり行かば寂しさの」とか「分け入っても分け入っても青い山」などと、牧水の歌や山頭火の句を吟じていたのかもしれない。
明治期、日本山岳会を創立し、初代会長となった近代登山の草分け小島烏水(こじまうすい)の著書に『山の風流使者』がある。その中に烏水は書いている。「そもそも風流とは何ぞ。極意を問わば、身も心も挙げて、自然に放下するのいわれに非ずや」、また「風流の道は古来多く旅を以て貫かるるものと為(な)すが如(ごと)し。小なる人間より、大なる自然に、回帰することに依って測り知ら可(べか)らざる幸福を見出す」と。
今度は酒を持たずに登山を堪能してほしい
Kさんも単なる酔っ払いではなく、川苔山の風流使者であったと信じたい。ただ、ちょっと酒の量が過ぎて気持ちが悪くなり、道から外れたところにゲロを吐こうと屈んだとき、傾斜のため足がもつれて前のめりに3メートルほど落ちたのだろう。頭から落ちたため、その拍子に頭がプッツンしたのではないだろうか。
その後Kさんは回復したものだろうか。私も病院には電話していないし、Kさんや家族からの連絡もないのでその後の安否はわからない。なんとか元気になってほしいものである。そしてこんどは酒など持たずに山に入り、大いに風雅を堪能してほしいものである。
(金 邦夫/Webオリジナル(外部転載))