「値段で勝負! 生活に必要な施設はありません」かつてのニュータウンは今…限界分譲地“40年後の行方”

陥没した道路、朽ちはてた公園、縦横無尽に生え散らかした草木…限界ニュータウンの“リアル” から続く
千葉県の北東部や外房方面には、俗に「限界住宅地」「超郊外住宅地」、あるいは「限界ニュータウン」と呼ばれるような分譲地が数多く存在する。そのほとんどが1970年代半ばから80年代にかけて、投機目的で分譲されたミニ住宅地だ。
道路も狭く、アクセスする公共交通手段も、上下水道ない──。当然、買う人もなく、売れない分譲区画は荒れ地化していく。一体、どのようにこうした場所で住宅地が作られていったのか。この限界ニュータウンの現状を取材した吉川祐介氏の著書『 限界ニュータウン――荒廃する超郊外の分譲地 』より、一部を抜粋して掲載する。
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「一般ユーザーの購買意欲を喚起させる利便性がまったくない」自家用車以外、交通手段がないかつての分譲地
不動産は、一にも二にも立地がすべてといわれるほど、立地の良し悪しがストレートに価格に反映される商品だ。
田舎暮らしや就農希望者むきの農村の古民家や、避暑地のリゾート物件などをのぞけば、基本的に分譲住宅地というものは、売り手側は最寄り駅や主要な商業地までの所要時間などを広告に記載して、その利便性を強調するものであるし、買い手側もまた、予算に収まる範囲で可能なかぎり利便性の高い地域を選択するものである。
ところが、多くの限界分譲地には、そんな一般ユーザーの購買意欲を喚起させるような利便性がまったくない。もともと北総をふくめた千葉県北東部は鉄道網が貧弱で交通空白地帯が多く、地域住民の移動手段は自家用車が主流であるとはいえ、駅から徒歩では行けない立地にもかかわらず、ほとんどの場合、実用に耐えうる運行本数が確保されたバス路線も存在しない。それはベッドタウンの概念から考えれば、ひどく奇妙なものだ。
限界分譲地は既存の農村集落からも離れた山林や田畑を造成したものが多いため、周辺には商業施設はおろか、自動販売機すら存在しないことが多い。
交通利便性のほかに住宅選びで重要な要素になるのは、小中学校などの教育施設までのアクセスだが、基本的に日本の農山村部では徒歩での生活を想定した道路整備をおこなっていないので、周辺道路には歩道やガードレールもなく、児童の通学に配慮がなされているとはとても思えない。
追いうちをかけるように、近年、少子化にともなう児童・生徒数の減少によって小中学校の統廃合があいついでおり、地域から教育インフラそのものが消滅しつつある。教育施設と同じく住宅選びで重視される医療機関についても、同様のことがいえる。
完全撤退した民間バス会社のあとに残ったものは…
一般的に、今日の郊外住宅地の衰退の要因(あるいは結果)のひとつとして指摘されるのが、地域住民の足として機能してきた路線バス網の縮小による交通利便性の悪化である。
自家用車の普及と少子高齢化の進行、そして既存の商業地域の空洞化などさまざまな要因がからみ、とくに地方を中心に路線バス事業の収益は悪化しており、減便が続いている。限界分譲地はその傾向がより顕著であり、少なくない地域で、減便どころか民間のバス事業者が完全に撤退してしまっている。
代替交通手段として、自治体によるコミュニティバスが運行されている地域もあるが、もともとコミュニティバスは福祉政策の色あいが濃いもので、通勤・通学における利便性や速達性を優先して運行されているものではない。
しかも、いまやそのコミュニティバスすら利用者数の少なさを理由に廃止されてしまい、地域住民限定の予約制のオンデマンド・タクシー以外に、公共の交通手段がいっさい存在しない分譲地もある。
そもそもそれ以前の問題として、千葉県北東部の限界分譲地を一度でも訪問すればすぐにわかることだが、農村の片隅に位置する限界分譲地の多くは、小型自動車がようやく一台通行可能な、ときにはガードレールもないあぜ道まがいの、きわめて幅員の狭い貧弱な道路を通行しなければたどり着くことができない場所にある。
路線バスにしても、立地や分譲地の規模を考えれば、開発当時にもそれほど多くの運行本数が確保されていたはずもなく、つまるところ限界分譲地というものは、その開発当初より、交通手段のいかんを問わずアクセス性を考慮して開発されたものではないのである。
「値段で勝負! 生活に必要な施設はありません」
手もとに、そんな当時の分譲地の販売もようを伝える貴重な資料がある。写真は、バブル景気の幕開けの時期、1987年に東京都内で新聞折り込み広告として頒布された、旧香取郡大栄町(現・成田市)の分譲地の販売広告である。
「場所と値段で勝負!」「緑ゆたかな自然の大地を先取りしませんか!」と、読み手に力強く購入を呼びかけるこの広告の謳い文句をよく読むと、今日の感覚ではひどく奇妙に思える記述にあふれている。
国際空港をかかえる成田市の周辺に資産(不動産)を所有することの優位性がながながと謳われている一方で、肝心の正確な所在地については、物件概要のなかにごく小さな文字で記されているだけで、最寄り駅から物件までの所要時間や交通手段の記載もなければ、小中学校など教育施設への言及もまったくない。
現地までの案内図は詳細に記してあるものの、肝心の物件の区画図などがないため、状況すら仔細にはつかめない。写真入りで紹介されている駅や商業施設などは、当時は隣接自治体であった成田市内のものであり、近隣施設とはとてもいえない。
アピールする利便性など皆無にもかかわらず、販売業者は「持っててよし!」などと、ただひたすら土地の取得のみを推奨するばかりで、住宅地の販売広告でありながら、そこにじっさいに住居を構えて生活することをまったく想定していないのである。それどころか、概要欄の文末に「現況有姿販売につき、生活に必要とされる施設はありません」などと臆面もなく堂々と記している始末である。
「生活に必要とされる施設のない」分譲住宅地の行方
「生活に必要とされる施設のない」分譲住宅地。冷静に考えて、はたしてそれは、いったいなんなのだろう。ようするに、たんなる地面の切り売りということではないのだろうか。住宅地としてもっとも重要な定義が欠落した、こんな常識はずれの文言を広告に入れてもだれも疑問に感じないほど、千葉県北東部の不動産市場においては、売り手と買い手の両者ともが土地というものを、もはやたんなる投機商品としてしかみなしていなかったのだ。
住宅地として利用するにはインフラや施設があまりに不足しているような分譲地でも、つぎつぎと完売が続くなか、土地ブームが過熱するにつれて業者側も、とりあえず安く取得できた開発用地を造成し、分譲地として売りさばいていったのである。
場あたり的な開発は何を生みだしたのか?
わずかに住民の流入が進んだ分譲地においても、新住民らに公共交通の利用を期待することはできなかった。自家用車の普及以前からの住民が多く暮らす既存集落や古い市街地では、公共交通機関を利用して移動する習慣を残す人びとがまだ少なからず存在するが、高度成長期以降に開発された分譲住宅地を選んだ住民は、最初から自家用車での移動を前提として移り住んでおり、バスや鉄道で移動する発想すらもちあわせていない。
その地に生まれた子どもたちも、高校くらいまではなんとか自転車などを使って通学するものの、大学進学、あるいは就職を迎え、いよいよ限界分譲地の暮らしには無理が多くなり、独立してべつの地域に居を構えてしまう。
したがって、今日においても地元自治体はときおり、僻地の住宅団地や限界分譲地もふくめた交通空白地帯の解消をめざし、新規路線バスの実証実験運行を試みてはいるものの、利用者数は伸び悩んだまま、本運行とならず廃止されてしまうことも多い。
このように、限界分譲地をとりまく貧弱な交通利便性は、たんに公共交通機関の衰退という文脈で語れるレベルの話ではない。鉄道駅に接続するバス、あるいは自転車を使って、学校や会社、商業施設へアクセスするという、一般的な郊外住宅地における生活イメージとはまったく異なる実態は、どうひいきめにみても計画的とはいえない場あたり的な開発・分譲が進められてきた結果なのである。
いうまでもなくこのような限界分譲地は、近年にわかに取り沙汰されている「コンパクトシティ」の理念からはるか遠い圏外に位置するものであり、生半可な都市計画では、両者の歩み寄りなど実現不可能であるといわねばならないものだ。
(吉川 祐介)