体操女子で56年メルボルン、60年ローマ、64年東京と3大会連続五輪代表の池田(旧姓田中)敬子さんが13日、死去した。89歳だった。
広島・三原高で体操を始め、日体大に進学。30歳で出場した東京五輪の団体総合では銅メダルを獲得した。世界選手権は54年ローマ大会の平均台で日本女子初の優勝を飾って「ローマの恋人」と呼ばれるなど、計8個のメダルを獲得した。
68年メキシコ五輪代表入りはできずに競技の第一線を離れると、ジュニア世代の育成に尽力。02年には国際体操殿堂入りを果たしている。
17年世界選手権の床運動で村上茉愛が金メダルを獲得するまで、池田さんは日本女子で唯一の世界女王だった。