明暗 吉川友梨さん不明20年捜査検証 ㊤浮上した目撃証言 不審車男の似顔絵「なぜ伏せた」

「実況見分調書」「現場付近駐車車両綴(つづり)」-。会議室の壁一面に並ぶA4ファイル。中でも聞き込み捜査の結果をまとめた「地取捜査関係」は30冊を下らない。大阪府警泉佐野署の3階に捜査本部が置かれて20年。現在も12人の専従捜査員が膨大な資料を読み直し、電話が鳴れば一切の予断を排して耳を傾ける。
平成15年5月20日午後、当時小学4年の吉川友梨さんが下校中の通学路で姿を消した。同級生と離れ、1人になって数分のうちに何者かに連れ去られたとみられる。府警は友梨さんの事件を最大の懸案と位置づけ、これまで延べ約10万6千人の捜査員を投入してきたが、いまだ有力な手掛かりは得られていない。
友梨さんが消息を絶った付近に、事件をうかがわせる痕跡はなかった。家族らに身代金の要求もない。捜査本部は、わいせつ目的や恨みによる誘拐、交通事故の隠蔽(いんぺい)など、さまざまな動機面から捜査。現場の七山地区全世帯や地区を出入りする業者、病院の通院患者まで聞き込みを徹底した。
もちろん、土地勘のある性犯罪前歴者らの洗い出しも進めたが、容疑者を絞り込むには至らなかった。友梨さんは今どこで、何をしているのか。「糸口にさえ行き着くことができなかった」。ある府警幹部は苦渋の表情で語る。
熱帯びた瞬間も
この20年、捜査本部が熱を帯びた瞬間は幾度かあった。
最も大きかったのが、事件当日の現場付近で旧式のトヨタ「クラウン」とみられる白い車を目撃したとの情報が寄せられたことだ。すでに事件から10年ほど経過していたが、クラウンの運転席に男がいて、助手席に女の子が座っているのが見えたという内容だった。
ついに見えた「一筋の光」(捜査幹部)。目撃されたクラウンの車種が「130系」の可能性が高いことも分かった。だが、同車種を1台ずつ調べる「車当たり捜査」は難航。当時、大阪府南部で登録されていた約900台のうち、約800台までは所有者に接触しながら有力な情報はなかった。残る100台の所有者は所在不明や死去などで接触すらできていない。
約8年前には、車当たり捜査の過程で暴力団関係者が浮上したこともあった。だが、事情を聴いた結果、事件当時のアリバイが確認され、ポリグラフ検査でも「シロ」。捜査は振り出しに戻った。
捜査本部がクラウン130系に絞り込み実車公開に踏み切ったのは、さらに約3年後の平成30年だった。
兆しが見えない
実は、クラウンの目撃者から、運転席の男について「中年ぐらいで目が細く、目尻がつり上がっていた」という趣旨の証言も得ている。
捜査本部は、この証言から男の似顔絵を作成。29年ごろには似顔絵をもとに似た人物を調べる警視庁のシステムで照合した。一縷(いちる)の望みをかけた試みだったが、運転席の男にたどり着くことはできなかった。
一部の府警OBからは「似顔絵を公開すれば、有力な情報が得られるかもしれない」という声も聞こえる。ただ、捜査幹部の多くは「似顔絵を公開できるほど信憑(しんぴょう)性が担保できない」といった懸念を示し、これまで公開は見送られてきた。
元大阪地検検事の亀井正貴弁護士は「似顔絵を公開すれば、捜査がミスリードされるなどの弊害もある。捜査側の事情もあるだろうが、情報提供が増えるなら、似顔絵はないよりあった方がいい」と言い切る。
20年を経て前進する兆しの見えない捜査。似顔絵の公開で有力な情報が得られるとは限らない。それでも友梨さんの捜査に長年携わった元捜査幹部は、当時の判断を悔恨の思いでこう振り返るのだ。
「似顔絵の信憑性より、1%の可能性があるなら公開すべきだった」

未解決のまま20年となった友梨さん不明事件。捜査の明暗を分けたのは何だったのか。今後なすすべはないのか。大阪府警による捜査を検証する。