先進7か国首脳会議(G7サミット)が19日午前、被爆地・広島で始まった。核保有国の米英仏を含む各国の首脳は平和記念公園(広島市中区)に集まり、原爆被害の実相を伝える広島平和記念資料館を視察。被爆者は核廃絶という理想に一歩でも近づくことを願った。
広島で被爆した浜井徳三さん(88)は19日午前、広島県廿日市市の自宅のテレビで、G7首脳たちの様子を見守った。生家は爆心地から約200メートルにあり、家族4人が亡くなった。平和記念公園に立つ首脳らを見て言った。「そこは家族が眠る場所。多くの命が奪われたことを想像してほしい」
公園一帯は当時、「中島地区」と言われる繁華街で、両親は理髪店を営み、兄と姉を合わせた5人で暮らしていた。川向かいにある県産業奨励館(現原爆ドーム)で、階段を滑り台代わりにして遊んだ。
原爆投下時、11歳だった浜井さんは廿日市市の親戚宅に疎開していた。2日後、家族を捜しに広島市内に入り、焼け野原になった街を見て立ち尽くした。自宅跡からは理髪店にあったハサミと、原爆投下時刻の「8時15分」で止まった皿時計が見つかった。
孤児となり、叔父に育てられた浜井さんは、高校卒業後、保険代理業を営んだ。叔父は1998年に他界。数日後、ふと思い立って広島平和記念資料館を訪れた。見学者用のノートに皿時計や中島地区で生まれ育ったことを記すと、翌日、資料館から連絡があった。傷みが進んでいたこともあり、寄贈を決めた。
皿時計の存在が知られるようになったことを機に、2003年から平和記念公園などで被爆体験の証言を始めた。しかし、原爆投下直後の記憶は、どうしても話せなかった。「何げない日常を話すだけでも大切な命が一瞬にして奪われたことは伝わるはず」と、家族との楽しい思い出や被爆前の街の様子を伝えてきた。
16年に公開され、戦時下の広島を舞台にした片渕須直監督のアニメ映画「この世界の片隅に」では、父の理髪店も登場した。映画を通じ、公園が人々が息づく街だったという過去を大勢の人が知ってくれて、うれしかった。
体が弱り、昨年9月から入退院を繰り返している。自宅のベッドで過ごすことが多くなり、証言活動は中断している。「原爆が投下されれば、どんな結末になるか、平和がいかに大切かを首脳らは心に強く刻んでほしい」と願った。(南部さやか)
被爆体験、海外に伝える…期間中メディアに証言
5歳の時に被爆した岸田弘子さん(83)(広島市佐伯区)はサミット期間中、海外メディアに被爆体験を証言する。「この被爆地で、世界のリーダーが対話による核廃絶を始めてほしい」と願いを込めた。
78年前の8月6日、岸田さんは爆心地から1・5キロ離れた自宅にいた。トイレで飛行機の音が聞こえた直後、目の前が真っ暗になった。土壁の下敷きになり、母親に引っ張り出してもらって外に出ると、自宅の2階は吹き飛んでいた。
当時、自宅には岸田さんと母親、弟、祖父の4人がいた。祖父は足が悪く、「自分のことはいいから逃げろ」と言われ、母親と弟と3人で必死で歩いた。数日後、母親が自宅に戻ると、家は燃え尽きていた。祖父の姿はなく、骨も見つからなかった。
戦後、原爆の被害は意識せずに生きてきたが、約10年前に被爆者の高齢化を伝える新聞記事を読み、2015年に広島市の「被爆体験証言者」となった。ウクライナ侵略が始まった昨年以降、欧米の旅行者からの証言依頼が増えた。被爆者として、広島で起きたことを伝える使命感がより強まった。
岸田さんはサミット最終日の21日、国際メディアセンター(IMC)で海外メディアにも証言する。岸田さんは「私も高齢になり、今回のサミットは被爆地の実情を海外に広く知ってもらう最後のチャンス。体験をありのまま話し、平和について考えるきっかけにしてほしい」と語った。(美根京子)
県被団協理事長「悲惨さ感じて」
被爆者団体の関係者も、歴史的なサミットの開幕に注目した。広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長(78)(広島市西区)は「各国の首脳には、原爆被害の悲惨さを感じ、核兵器に頼って平和を守ることそのものが間違いだと理解してほしい」と願った。
ウクライナを侵略するロシアが核兵器の使用をちらつかせ、威嚇を続ける中で開かれたサミット。佐久間理事長は「核戦争が起こる危機は過去にないほど高まっている。唯一の被爆国である日本には、話し合いで侵略を終結させる議論を先導してもらいたい」と訴えた。
首相夫妻出迎え、首脳ら資料館に
議長を務める岸田首相と裕子夫人は午前10時20分頃から、平和記念公園内の広島平和記念資料館本館下の雨が当たらない場所で各国首脳らを出迎えるために待機した。
午前10時30分頃にまず、欧州連合(EU)のウルズラ・フォンデアライエン欧州委員長が到着。その後も核保有国の英国のスナク首相らが順次訪れた。午前11時20分頃には、現職米大統領としては2人目の広島訪問となるバイデン大統領も姿を見せ、全員がそろった。
岸田首相と裕子夫人は各国首脳らが着くたびに握手しながら短く談笑し、原爆死没者慰霊碑や原爆ドームをバックに記念撮影した。撮影後、首脳らは資料館の東館に入った。