自民党参院議員会長や官房長官を務めた青木幹雄(あおき・みきお)氏が11日夜、老衰で死去した。89歳だった。通夜と葬儀は近親者のみで行い、後日、島根県でお別れの会を開く予定だ。
青木氏は1986年に参院島根選挙区で初当選し、連続4期務めた。秘書としても仕えた竹下登・元首相の側近で、旧竹下派の流れをくむ小渕、橋本、津島、額賀、竹下、茂木の各派の参院議員のまとめ役として存在感を示した。
99年10月、小渕内閣で官房長官として初入閣した。2000年4月、小渕恵三首相が脳 梗塞 (こうそく)で緊急入院した際は、首相臨時代理として、内閣総辞職を含む異例の首相交代劇を仕切った。退任後は党運営で力を発揮し、「参院のドン」とも呼ばれた。
03年の党総裁選では、小泉純一郎首相の再選阻止を目指す野中広務・元党幹事長と派閥内で主導権争いを展開。派内の参院議員を小泉氏支持でまとめ、小泉氏再選の原動力になった。
10年の政界引退後も国会近くに事務所を構え、政界への影響力を持ち続けた。