秋葉原無差別殺傷、対峙した警察官の15年…すすり泣いた元死刑囚

2008年6月に17人が死傷した東京・秋葉原無差別殺傷事件は8日、発生から15年となった。昨年7月に死刑が執行された加藤智大・元死刑囚(執行当時39歳)を現場で取り押さえた警察官は「ナイフを握る元死刑囚は、無表情だった」と振り返り、「孤独を深めた人物が起こす事件の芽を摘むため、市民や容疑者と向き合っていく」と話す。(石沢達洋)

「ガシャーン」
その日、 荻野 (おぎの)尚警部補(56)はJR秋葉原駅前の交番で勤務中、大きな衝突音を聞き、近くの歩行者天国に駆けつけた。「交通事故か」と思ったが、すぐに違うことに気づいた。
男が駆け回り、ぶつかった通行人が次々とその場に崩れ落ちていく。男は右手に両刃の「ダガーナイフ」を握りしめていた。夢中で追いかけ、背後から「止まれ!」と声を張り上げると、男が振り返った。
当時25歳の加藤元死刑囚。目はうつろで、感情を推し量ることはできなかった。
元死刑囚は無言で突進してきた。「殉職」の2文字が頭をよぎる。警棒で応戦すると、頭に警棒が当たり、元死刑囚はよろめきながら近くの路地に逃げ込んだ。拳銃を構えて「撃つぞ」と警告すると、ナイフを路上に落として座り込み、すすり泣きを始めた。
殺人未遂容疑で現行犯逮捕し、手錠をかけた。「なんでこんなことをしたんだ」と問いただしたが、返事はなかった。警察署に向かうパトカーの車内でも、うつむいたまま一言も発しなかった。
制服の上に着けていた「耐刃防護衣」には、左胸と脇腹の3か所に刺された痕があった。けがはなかったが、紙一重だった。

翌日以降、いつもの交番勤務に戻ったが、元死刑囚のことが気になった。「無差別に周囲に向けられた強い殺意は、一体どこから生まれたのか」
事件の報道に注目した。元死刑囚は自動車関係の短大を卒業後、職場を転々としていた。事件の約3年前から掲示板サイトにのめり込み、仕事以外のほとんどを閲覧や投稿に費やす中で孤立を深めた。掲示板での「嫌がらせ」に怒りを募らせ、やめさせるために事件を起こしたとされた。
その人生に思いをはせる中、「孤立を深めたことが事件の背景にある。再発防止のために、警察官としてできることをやろう」と考えるようになった。
秋葉原を管轄する万世橋署から、東村山署、向島署、東大和署と異動を重ねた。住民から「息子が自宅に引きこもっている」と相談を受ければ、「原因に思い当たることはありますか」と親身に話を聞いた。留置場の管理を担当した際は、若い容疑者の姿が元死刑囚と重なり、釈放時に「もうここに戻ってきてはいけないよ」と諭した。
「社会で孤立しないでほしい」「自暴自棄にならないでほしい」。いつも、そう願ってきた。

昨年7月、東大和署で勤務中に、元死刑囚への死刑執行をニュースで知った。死傷した被害者やその家族のことを思い、「これで無念さや憤りが消えるわけではない」と感じた。
刑の執行は節目ではあるが、自身がやるべきことに変わりはない。「住民の声に耳を傾け、容疑者に更生を促していく」。それが、あの事件を経験した警察官の責務だと信じて。
自暴自棄の末 後絶たず

孤立した人物が他人を傷つける事件は、秋葉原の事件後も後を絶たない。
大阪・北新地のクリニックで2021年12月に26人が死亡した放火殺人事件では、容疑者の男(当時61歳、死亡)が孤立と困窮から自暴自棄となり、事件を起こした。長野県で先月、住民2人と警察官2人が殺害された事件では、逮捕された男(31)が「(住民が)自分のことをぼっち(独りぼっち)とバカにしていると思った」と供述した。
東京未来大の出口保行教授(犯罪心理学)は「社会に居場所がなく人間関係の希薄な人が自暴自棄になると『失うものがない』と凶行に突き進むことがある。行政だけでなく、地域住民が中心となって交流の場を設けるなど、孤立を防ぐ取り組みが重要だ」と話している。
◆秋葉原無差別殺傷事件=2008年6月8日正午過ぎ、加藤智大・元死刑囚がトラックで日曜日の歩行者天国に突入。5人をはねた後、通行人をナイフで次々と襲った。男女7人が死亡し、10人が重軽傷。15年に死刑判決が確定し、昨年7月に刑が執行された。