プロ野球の広島で活躍した北別府学さんが16日午後0時33分、広島市内の病院で亡くなった。65歳だった。
引退後、評論活動などを続けていたが、19年にYouTubeチャンネルを開設して話題に。20年1月、成人T細胞白血病と診断されていたことを公表した。「解説者としてカープの日本一を見届ける為に必ずや復活します。孫にも野球を教えなければなりません」などと前向きな言葉を残し、病と闘った。その後、感染症による敗血症を患っていることを広美夫人が公表。広美夫人が記すブログでは、数ヶ月で退院する見込みだったが、延期になっていたという。カープOB戦では、かつての仲間の大野豊氏が北別府さんの背番号「20」のユニホームを着るなど、だれもが復活を願っていたが、カープのエースが天国に旅立った。
都城農高(宮崎)で1年からエースとして活躍し、3年春の九州大会では完全試合を達成。75年ドラフト1位で広島に入団した。
甲子園出場経験がないため、当初は無名だったが、入団1年目から9試合に登板して2勝をマーク。2年目に先発ローテ入りし、3年目には10勝。4年目の79年には36試合に登板、チームトップの17勝を挙げ、球団初のリーグ優勝に貢献した。
直球は140キロ台だったが、“精密機械”と呼ばれた制球力で、打者を翻弄した。78年から11年連続で2ケタ勝利。初の開幕投手を務めた82年は、自己最多の20勝を挙げ、最多勝と沢村賞を獲得した。86年はシーズン終盤の9、10月に7勝0敗と驚異の成績を残し、リーグ優勝の立役者に。沢村賞、最多勝、最優秀防御率、最高勝率、MVPに輝いた。
89、90年は2年連続で規定投球回に届かず、1ケタ勝利に終わったが、91年に11勝をマークし、最高勝率のタイトルも獲得した。92年7月16日の中日戦(ナゴヤ)では、球団史上初の通算200勝を達成。そのオフ、球団初の1億円プレーヤーになった。
94年限りで現役を引退。01年から4年間、投手コーチを務め、黒田博樹らを指導した。12年に野球殿堂入りした。