傷だらけのスーツケースと父の10年 大津いじめ自殺 「法改正を」

「息子が命を懸けて作った法律だが、子供を守れるものになっていない」。2011年に大津市でいじめを受けた市立中学2年の男子生徒(当時13歳)が自殺した事件を契機に制定された「いじめ防止対策推進法」の成立から、21日で10年を迎える。いじめへの対応と防止について学校や行政の責務を定めたが、現場での趣旨徹底は進んでいない。この間、全国のいじめ被害者の声に耳を傾けてきた生徒の父親(57)は法の実効性に疑問を持ち、国会議員や文部科学省に何度も改正を訴えてきた。父親は今、何を思うのか。
6月初め、市内のホテルで毎日新聞の取材に応じた父親は、使い込まれた黒いスーツケースを引いていた。中にはいじめの本や息子の事件に関して市教委が提供した資料、各地のいじめ問題の書類などがびっしり詰まっている。表面に刻まれた無数の傷は、いじめ根絶のため身を粉にしてきた父親の歩みそのものだ。
法成立も消えぬ危機感
父親は事件後、いじめに対する世論の高まりを受けて法策定に向けた議論が始まったことを知ると、国会議員のもとに足しげく通い、各地のいじめ問題を報告しては「二度とこういうことが起こらない法律を作ってほしい」と懇願した。条文案に抽象的な表現があると感じ、学校が取るべき具体的対応を盛り込むよう意見書も提出した。13年、議員立法で法が成立。根絶への一歩は踏み出されたが、「内容が脆弱(ぜいじゃく)ではないか」との危機感は消えなかった。
全国のいじめ被害者や家族の支援活動にも取り組んできた。学校や教委との交渉をサポートする中で、遺族の悲痛な叫びを多く聞いた。法律では事実関係などを調査する第三者委員会について、基本的な考え方は盛り込まれたが、設置の義務付けには至らなかった。そのため、「要望しても第三者委を開いてもらえない」「連絡もなく、知らないうちに開かれていた」などの声が寄せられた。
また、「いじめの調査資料を開示してもらえない」との訴えもあった。法ではいじめを把握した後の学校の対応について、記録の取り方や保存方法、保護者への情報提供のあり方などが明記されず、対応の検証を難しくしていると感じた。こうした声に触れるたび、父親は法の実効性の乏しさを痛感し、策定に関わった者として「申し訳ない」との思いで被害者らに頭を下げてきた。
「子供のため」より「大人の都合」
法は施行から3年をめどに見直しの検討が求められている。父親は改正案を議論する超党派の国会議員の勉強会に参加し、各学校に策定が定められている「学校いじめ防止基本方針」の周知・履行の義務化や、公平・中立な第三者委員の選任などを訴える要望書を提出した。18年12月に公表された素案には、第三者委は利害関係のない者で構成すると明記され、基本方針に盛り込むべき内容も詳細に規定された。
ところが、教育現場から「業務が増加する」といった懸念の声が上がり、19年4月に出された座長試案では多くが削除された。他のいじめ被害者らとともに試案の撤回を求める意見書を提出し、何度も馳浩座長(当時、元文科相)を訪ねて説明を求めた。しかし議論は停滞したまま、いまだに改正は実現していない。父親は「子供のための法律なのに、議論は大人の都合で進んでいる。いつになったら改正してもらえるのか」と嘆く。
父親は法改正の機運が高まらない背景に、いじめによる自殺の実態が見えてこない点を挙げる。文科省が毎年まとめている「問題行動・不登校調査」では、いじめの認知件数は過去10年間で約3倍となった一方、児童生徒の自殺者数は年間200~400人台で推移し、このうちいじめが原因となったケースは2~4%とされる。「自分が相談を受けたり、見聞きしたりした数と比べても少なすぎる」と疑念を抱く。「自殺の原因の6割が不明となっているが、現行法の仕組みでは自殺の背景に隠れているものを掘り起こすことができない」
命日は同級生に囲まれ
優しい性格で、卓球やカードゲームが好きだったという息子。今も命日には毎年、同級生らが線香を上げに訪れる。父親は「いじめは人の命を奪う恐ろしい行為だという認識が学校現場に浸透していないことが一番の問題だ。法改正の必要性を訴え続け、息子の親として最後まで向き合いたい」と語った。【飯塚りりん】
大津市の中2自殺事件
2011年10月、大津市立中学2年の男子生徒(当時13歳)が自宅マンションから飛び降り自殺した。学校の調査では複数の生徒がいじめと自殺の関連を指摘したが、市教委は翌月、自殺との因果関係は不明とする調査結果をまとめた。両親は12年、市や元同級生らに損害賠償を求めて提訴。市の第三者委員会は13年、いじめが自殺の直接的要因とする報告書をまとめた。市は15年、責任を認めて両親と和解した。