秋篠宮さまが明かす「皇室としては類例を見ない結婚」へ至った反省…小室さん夫妻の“結婚騒動”が残した重い問い から続く
6月29日、秋篠宮ご夫妻は結婚33周年を迎えられた。ジャーナリストの江森敬治氏による『 秋篠宮 』(小学館)から、秋篠宮さまが語られた皇嗣殿下としての心構えや決意について、一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/ #4 に続く)
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皇嗣として
新しい時代が始まった2019年5月1日朝、東京はあいにくの空模様だった。
晴れ間を覗(のぞ)かせたのもつかの間、再び雨が降った。
新天皇が即位し、令和がスタートした。これに伴って秋篠宮も皇位継承順位が第一位の皇嗣という、より重い立場に変わった。皇嗣職大夫(だいぶ)をはじめとする皇嗣職の職員たちも、この日が仕事始めとなった。秋篠宮一家を支える組織も整い、秋篠宮夫妻の新たな活動も始まった。
平成が押し詰まった19年2月、秋篠宮一家は宮邸に隣接する御仮寓所に引っ越した。宮邸の増改築が終わるまでの数年間、ここで暮らすことになった。
桜も散り出していたある春の日のことだ。秋篠宮に会うため、東京・元赤坂の御仮寓所を訪れた。この日は、晴天だった。汗ばむ陽気にコートを脱ぎ、スーツにネクタイ姿で訪問した。
巽門に着くと、ヘルメットをかぶった作業員二人が石の壁に上って、作業をしていた。こんな光景を見るのは珍しい。門内には工事車両が数台、駐車していた。作業員や車が多く見られ、どこか慌ただしい様子だ。
いつものように皇宮護衛官に行く先を尋ねられた。彼も暑いのだろう、白いワイシャツ姿だった。
門を入ってまっすぐに進むと秋篠宮邸だが、改修中である。一時的な住まいとなる御仮寓所は門を入ってすぐ右に折れた場所にある。
新築の鉄筋コンクリート3階建てだ。とはいえ、住宅街に建っていたとしても特段目立つことのないような住まいである。
ちなみに、本邸の改修が終了した後は撤去するのではなく、事務所などとして活用されるらしい。
背の高いメガネをかけた男性職員が玄関のドアを開けて部屋に案内してくれた。廊下を通る時、来客用のお茶や和菓子、デザートがたくさん並べられたワゴンを目にした。秋篠宮夫妻は、今日も多忙らしい。
席に座り、時刻を確認すると約束の時間よりも15分早かった。職員は「しばらく、お待ちください」と言ってから、温かいほうじ茶を持って来てくれた。お茶を飲もうと、白い茶碗の底を見ると、青い小鳥が描かれていた。一口飲んで部屋の中を見渡した。
私の座っている長椅子の前にある低いテーブルの中央には、2羽の石造りの小さな鳥が置かれていた。対面には椅子が二つ並んでいる。壁には白いコブ牛が二頭描かれた日本画が飾られている。
部屋の隅には、アンモナイトのような白く丸っぽい置物があった。直径60センチほどで、年輪もしっかり見える。以前、秋篠宮から教えられたが、珪化木(けいかぼく)という植物の化石らしい。
土砂に埋もれた樹木に、長い年月をかけて地層からの圧力でケイ酸を含んだ地下水が入り込み、樹木が原形を変えずに化石化したものだという。保存状態の良いものは年輪や木の形までとどめている。その下には細長い神木のマンザカベニタニが台座として置かれていた。
秋篠宮が新婚当時住んでいた平屋の宮邸にも水槽があった。その水槽の下に置かれていたのも、今あるのと同じ珪化木とマンザカベニタニだった。私は、その部屋で何度か彼と会ったことがある。約30年前にも、同じものを見ていたはずだ。悲しいことに私にはその化石の価値がまったく分からず、記憶に留めていなかった。
珍しいものを部屋に飾っておくことに意味があると、彼から聞いたことがある。初対面の人が来た時に、部屋に珍品が置いてあれば「これはなんでしょうか?」と尋ねられ、それをきっかけに話が弾むことがあるのだという。「自分はシャイで社交ベタだ」と自認する彼らしい工夫だ。
新しく皇嗣となる秋篠宮さまの意気込み
コン、コンとノックの音がして、秋篠宮が部屋に入ってきた。私はノックの音と同時に立ち上がり彼を出迎えた。彼はスーツにネクタイ姿で、書類を持っていた。
すぐに本題に入った。新しく皇嗣となる秋篠宮の意気込みを聞きたかった。
皇嗣となって何をやりたいのか。こんなこともしたい、あんなこともやりたいという彼の抱負や決意も確かめたい。兄天皇を支えながら新しい皇室をどう盛り立てていくのか。どのような令和皇室が望ましいと考えているのか。聞きたいことは山ほどあった。
――5月から皇嗣殿下となられます。皇嗣殿下としての心構えや決意を教えてください。
「うーん」と、しばらく考えていたが、求めていた答えは返ってこなかった。
「象徴天皇制を担うのは、あくまで天皇」
これからの彼は、5歳違いの兄である天皇を支えるという大きな役割を担うことになる。兄弟が力を合わせて令和皇室を牽引(けんいん)することも想定される。
一体、彼はどう考えているのだろうか。そのことを強調して、再び尋ねた。
慎重に言葉を選びながら、彼はこのように語った。
「象徴天皇制を担うのは、あくまで天皇であり、私は兄を支える、助けることに徹するのではないでしょうか」
確かにその通りだが、いま一つ物足りない。なかなか彼の本音に迫れない。
少し聞き方を変えてみた。
20年以上前のことになるが、私が「将来、どういう皇族を目指しますか」と質問した際に、彼は「皇族には天皇をサポートするという役目が不可欠です。加えて様々な依頼事があり、それらの仕事をやります」と答えたことがある。続けて彼は、「例えばこれから10年ぐらい経ってくると新たな視野が広がってくると思います。自分のやりたいテーマみたいなものが出てくるかもしれません」と語っていた。
このやりとりを引きつつ、「最近、新たな視野が広がっていますか?」と聞いてみた。
「公的な活動は受動的でありますのでね」と、従来の考えを繰り返し、彼は明言を避けた。
一方で私的な活動については、このような考えを示した。
「『生物多様性』などは、20年前と今とでは取り上げられ方が異なってきていると思います。私は、日本動物園水族館協会や日本植物園協会に関わっていることから、生物の多様性にも関心を持っています。しかし、基本的には個人の関心事として、関係している人を私的に応援するくらいかと思います」
彼は日本動物園水族館協会と日本植物園協会のいずれでも総裁を務めている。だから多様性には関心を持つが、それはあくまで個人的なことに過ぎないというわけだ。
公的な立場の場合、自分が率先して仕事を選ぶのではなく、あくまでも依頼された仕事に一つずつ丁寧に対応する。それが大切なのだと彼は強調した。
( #4 に続く)
「どうして皇太弟にならなかったのですか」兄や妹より自由に行動してきた秋篠宮さまが考える“皇嗣のお立場” へ続く
(江森 敬治/Webオリジナル(外部転載))