日本兵「女、子供は足手まとい 早く死んでくれ」 戦禍のパラオ諸島 息子も知らなかった母の体験「最高のごちそうはヘビ・トカゲ・カタツムリ」

〈『女、子供は足手まといになるから早く死んでくれ』と日本兵にはっきり言われた〉。太平洋戦争末期の1944~45年、日本統治下のパラオ諸島(マラカル島)で戦渦に巻き込まれた本部町渡久地出身の故臼井稲(いね)さん=享年(92)=が残した手記には、「軍隊は住民を守らなかった」という戦の実態が克明に記されている。亡くなってから12年がたった今年6月23日の「慰霊の日」に、臼井さんの四男實さん(69)が遺品整理中に豊見城市内の実家で発見した。(社会部・城間陽介)
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2011年に死去した臼井さんは生前、自身の戦争体験を親族に語ることは一切なかったという。「戦争体験者が少なくなっている。少しでも役立てれば」と、實さんが沖縄タイムスに手記を寄せた。作文用紙に、「二度と起こしてはいけない戦争」とのタイトルで書かれている。
臼井さんは父親がパラオに支店を持つ呉服商で、裕福な家庭に育った。移住先のパラオで長崎出身の日本兵と結婚した。
〈結婚式のあと1週間ほどで急に主人はラバール島へ出動命令が出て、急激に戦火は激しくなり…〉。ジャングルでの避難生活が始まると、そこに暮らす地元パラオの人々に世話になり、ごちそうを振る舞われた。〈今でも思い出すたびに感謝でいっぱいです〉
一方、日本軍は住民の畑を収奪し、臼井さんら民間人に耕すことを命令しながら、食料は独り占めにした。〈畑のイモをこっそり盗み、見つかった婦人は見せしめのために木につるされ、棒でたたかれ半殺しにされました〉
戦火は激しさを増し、一緒に行動していた友人2人は目の前で被弾して命を落とす。〈一人は足の肉がバラバラになった〉。荷物の運搬のため徴用された父親は日本兵に木剣で殴る蹴るの暴行を受け、妹は間近で機銃掃射に遭って難聴に。飢えにも苦しめられ〈最高のごちそうはヘビ・トカゲそしてカタツムリでした〉。
文末は軍国主義への批判で締めくくっている。〈(パラオ)島民の方々の人間性あふれる行動と比べ(日本の)軍国主義の非人間性、命令的な声が今でも聞こえ(中略)自由に意見を言えない苦しさはたとえようがありません〉
息子の實さんによると、臼井さんは50代の頃、新聞への投書などよく書き物をしており、手記はその当時のものではと推測する。
「母がこんなにも凄絶(せいぜつ)な体験をしていたとは。いつも戦争の犠牲になるのは罪のない一般市民だと教えてくれているようだ」と語った。