米軍が長崎に原爆を投下して78年の9日、長崎市は平和祈念式典を開いた。台風6号の接近で、会場を平和公園から屋内施設「出島メッセ長崎」に変更し、岸田文雄首相らの招待を見送るなど規模を縮小。鈴木史朗市長ら市関係者のみ42人が参列した。4月に就任した被爆2世の鈴木市長は初めて読み上げた平和宣言で、5月の主要7カ国首脳会議(G7サミット)での核軍縮に関する首脳声明「広島ビジョン」について「核抑止」を前提とした点を批判。核保有国と核の傘の下にいる国の首脳に核抑止への依存からの脱却を迫った。
首相の不参加は、当時の小渕恵三首相が国会会期の都合などで欠席した1999年以来24年ぶり。屋内開催は63年以来60年ぶりで、当時も台風の影響だった。岸田首相はビデオメッセージを寄せた。今年は米国など核保有国6カ国を含む過去最多の89カ国の駐日大使や都道府県の遺族代表らが参列予定だったが、市は安全確保を理由に招待しなかった。
鈴木市長は平和宣言で、日本原水爆被害者団体協議会代表委員だった谷口稜曄(すみてる)さん(2017年に88歳で死去)が原爆で背中一面に大やけどをし、1年9カ月の間うつぶせのまま生死をさまよったことや「忘却を恐れる」という生前の言葉を引用。ロシアがウクライナ侵攻で核兵器による威嚇を続け、他の核保有国でも核兵器への依存や核戦力増強が加速して核戦争の危機が高まっていると指摘。「今、核戦争が起こったらどんなことが起こるのか」という根源的な問いに向き合うべきだと訴えた。
5月のG7サミットで出された首脳声明「広島ビジョン」については、「核戦争を決して戦ってはならない」と再確認されたとする一方、核兵器を持つことで自国の安全を守る「核抑止」を前提としている点を批判した。
日本政府には、核兵器禁止条約への署名・批准や憲法の平和の理念の堅持を要請。国の指定地域外で原爆に遭ったとして被爆者と認められない「被爆体験者」の早期救済を求めた。
岸田首相は式典に寄せたビデオメッセージで「唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』を実現するため、非核三原則を堅持しつつ、たゆまぬ努力を続ける」としたが、核兵器禁止条約には触れなかった。長崎県や市が要望する「被爆体験者」の救済にも言及しなかった。
被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた熊本市北区の工藤武子さん(85)は、被爆した家族が次々とがんで亡くなっていった悲しみを訴え、「日本は今こそ、世界に核兵器の非人道性を伝え、未来を守るには、核兵器廃絶しかないと強く訴えるべきだ」と述べた。この1年で死亡が確認された3314人の原爆死没者名簿が奉安され、奉安者累計は19万5607人になった。【高橋広之】