「諸般の情状を考慮すれば極刑以外にない」。1966年に静岡市(旧静岡県清水市)で一家4人を殺害したとして強盗殺人などの罪に問われた袴田巌さん(87)は55年前、静岡地裁で死刑を宣告された。そのやり直しの裁判(再審)が27日に同地裁で始まる。「矛盾を徹底的に突く」。弁護団長の西嶋勝彦弁護士(82)の目には、34年前に再審無罪が確定した別の死刑事件との共通点がみえているという。
3月20日、東京・霞が関の司法記者クラブでの記者会見。検察側が特別抗告を断念し、袴田さんの再審開始が決まったとの一報を聞き、西嶋弁護士はおえつを漏らした。もう袴田さんを苦しめなくて済む--。安堵(あんど)感から来る涙だった。
中央大法学部を卒業して65年に弁護士登録。刑事弁護の道を歩んだ。「正義が実現できる仕事がしたい」との志は、自然と冤罪(えんざい)の救済へと向かった。
初の「死後再審」として知られる53年の徳島ラジオ商殺人事件(85年に再審無罪)、54年に静岡県島田市で女児を誘拐、殺害したとして赤堀政夫さん(94)に死刑が言い渡された「島田事件」(89年に再審無罪)の弁護団に参加。「開かずの扉」と例えられる再審請求で、検察と対峙(たいじ)するすべを学んだ。
脆弱な証拠構造、なのに死刑
袴田事件の弁護団に加わったのは島田事件の再審が終わった直後で、袴田さんが最初の再審請求を静岡地裁で闘っているタイミングだった。「こんなにおかしな話はない」。脆弱(ぜいじゃく)な証拠構造にもかかわらず、最高裁が死刑を確定させていることに驚いた。
冤罪の確信を持ったのは、袴田さんが警察での過酷な取り調べの末、虚偽の自白をしていたからだ。袴田さんは当初、パジャマで事件を起こしたと説明した。しかし、事件から約1年2カ月後、袴田さんの勤務先のみそ工場のみそタンク内から大量の血が付いた「5点の衣類」が見つかると、検察は犯行時の着衣を5点の衣類に一変させた。
西嶋弁護士は島田事件でも、捜査側の「自白偏重」の問題を経験した。赤堀さんの捜査段階の犯行状況の自白は、女児の遺体の傷と一致しないことが再審開始の決め手となった。再審判決も「自白に信用性は乏しい」と断定した。
「『(やったのは)あいつだ』という見込み捜査で無理に自白を取ろうとする。そして都合の悪い事実は無視する」。西嶋弁護士は「袴田」と「島田」の二つの事件に共通点をみる。
警察、検察は約10年前から重大事件で取り調べの録音録画を導入した。しかし、西嶋弁護士は再審公判でも袴田さんの有罪主張を続ける方針の検察に、変わらない体質を感じているという。
弁護士になって約60年。体は衰えた。4年前に肺の病気が分かり、常にボンベから酸素を吸入して生活している。ただ、弱い人を助けるという原点にぶれは無い。
「仕事と酒しか生きがいがない人生だったな」。そう話すほどの酒好きでもある。袴田さんの再審無罪が決まったら、改めて祝杯を上げるつもりだ。【巽賢司】