赤子の腹に銅線…「待っていたのは地獄」 北朝鮮へ渡航した日本人妻「3年で帰れる」信じ

戦後、在日韓国・朝鮮人や日本人妻らを対象とした北朝鮮「帰還事業」で過酷な生活を強いられたとして脱北者ら4人が同国に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が30日に東京高裁で言い渡される。「3年で帰れるといわれて船に乗ったが、食べるものもなく、生きるために何でもする地獄を見た」。原告の一人で日本人妻の斎藤博子さん(82)は、20歳で帰還事業に参加して韓国出身の夫と北朝鮮へ渡り、約40年を同国で過ごした。取材に対し、同国での生活の実態を語った。
だまされた
「なんの心配もなく暮らせる」「病院にいってもタダ」-。昭和36年1月ごろ、朝鮮総連の関係者が何度も自宅を訪れ、渡航を強く勧められた。迷いもあったが「3年したらまた戻ることができる」という言葉を信じ、北朝鮮行きを決断した。
同年6月、新潟港から船に乗った。異変に気付いたのは北朝鮮の港に近づき、デッキから対岸を望んだときだった。港に集まった現地の人々はみなひどく痩せ、顔は黒く汚れていた。
船から降りると、体育館のような施設に閉じ込められた。「『日本へ帰して!』と叫び出す人もいたが、もう遅かった。だまされたと確信した」
待っていたのは、トイレも風呂もないアパート。食料の配給はわずかで、夫は結核で死亡。出国は許されず、6人の子供らと「生きるため」盗んだ銅線を売って暮らした。ある日、銅線を運ぶために汽車に乗っていたときのこと。乳児を背負った乗客の若い女性が、警察に呼び止められた。女性が背中から乳児をおろすと、その子は亡くなっており、腹の中には銅線が隠されていた。
「本当の地獄を見た」
子供5人と別れ
平成13年に脱北し、日本へ。その後、娘1人と孫2人も脱北に成功したが、残る子供たちは病気や飢えで亡くなるか、消息不明となっている。
控訴人の1人として、法廷でも惨状を訴えた斎藤さん。「子供たちに謝りたくても、もう謝ることもできない。北朝鮮という国の実態を知り、拉致被害者も含め、今も残る日本人を一日でも早く故郷へ帰れるようにしてもらいたい」と話している。(緒方優子)