「太腿の骨まできれいに食べちまう」「するめ工場に侵入、20万円相当を食い荒らし」「クマは人間を食べないが…」北海道“大学生殺し”ヒグマの食性

10月31日午前10時半ごろ、北海道松前郡福島町の大千軒岳(標高1072メートル)。地元、福島消防署の41歳と36歳の消防署員、それに隣の知内消防署の41歳の消防署員の3人が、登山開始から約3時間後に休憩中のところ、ヒグマに襲われる事故が発生した。7合目付近の急な登山道を登ったところに人が休める「休み台」というスペースがある。周囲は藪や林で鬱蒼としており、ヒグマはその中を下から駆け上がってきた。
消防署員らが「おい!おい!」と大声を掛けても構わず向かってきて、まず知内署の男性を襲撃。首や太腿に噛みついているところを、福島署の41歳の男性が助けようとナイフで応戦。反撃に遭い、脇腹や太腿に軽傷を負ったという。
普段、訓練を積んでいた消防署員だからこそできたと思われるヒグマの撃退。だが、喉に傷を負って瀕死のヒグマは、その後、そこから6合目付近の藪の中にある“別のエサ”の近くに向かって歩いて行ったとみられている。
入山規制後、連絡が取れない車の使用者の捜索を開始
この事故から2日後の11月2日昼、この6合目付近の登山道から外れた藪の中で、性別不明の遺体が倒れているのが発見された。
捜査関係者が語る。
「31日の被害を認知した後、入山規制をしましたが、その日の午後7時半ごろに国道228号から6キロほど登った登山道入り口の駐車場に車が1台、置いたままになっていました。車の使用者との連絡が取れず、翌日から防災ヘリを飛ばし、携帯電話の着信のGPSなどを頼りに役場や消防署の協力も得ながら捜索を開始。翌日、『何か下にある』となりました」
「登山に行く」といったまま行方不明に
まず見つかったのはオスのクマの死骸だ。喉元に傷があり、31日に消防署員らが遭遇したのと同じ個体であることが判明している。問題の被害者の遺体は、その30メートル先の藪の中に、クマが習性で自分の獲物に行うように土や枝が被せられており、登山道からは視認できない場所にあった。心肺停止状態で、遺体の損傷は激しく、死因は多発損傷による出血性ショック。付近には被害者のリュックが落ちていた。
その後、道警による司法解剖が行われ、DNA鑑定の結果、被害者は函館市内の大学生、屋名池奏人さん(22)と判明。10月29日に「登山に行く」といったまま、行方不明となっていた。31日に消防署員らがヒグマに遭遇する前に、すでに被害に遭っていたとみられており、道警はクマの死骸から胃を摘出し、内容物を調べている。
周辺で相次ぐ人的被害
地元猟友会関係者が語る。
「これまで登山者がクマを見たというのはあっても、人的被害はまずなかった。それが、人が襲われる事故が出てきたのがここ数年のことです。この夏は特に気温が高く日照り続きで、クマのエサである木の実が極端に少ない。田畑を食い荒らされる被害はよく出ていて、ウチも今年、畑のニンジンを全部やられた。それでもこれまでクマが出るのは、早朝や夜中などひと気のない時間帯でした」
別の猟友会関係者がこう明かす。
「今年は特にクマの出没数が多く、実は福島町内でも9月の1カ月間だけで、檻の形の『箱ワナ』で、普段の1年分くらいのクマの捕獲があった」
福島町役場によれば、今年度に入りすでに町内で16頭が捕獲されているという。
人を恐れぬクマの増加。周辺ではここ数年、人的被害が相次いでいた。
畑仕事に出たままクマの餌食になった事例も
福島町で最初にヒグマによる死亡事故が起きたのはおよそ2年前のことだ。今回の現場最寄りの国道を約10キロ南下した、海沿いの同町白符で起きた。2021年7月2日朝、国道から、津波などの際のために設けられている避難路を30mほど上がったところにある杉林内の、オオイタドリが生い茂った藪の中で、性別不明の人間の両脚が見つかったのだ。約20メートル先にはカボチャやジャガイモを植えた畑がある。遺体は傷だらけで、幅70センチ、深さ20センチほどに掘られた穴の中に、草の塊に覆われて隠されていたという。
その後の司法解剖で、被害者は前日朝に畑仕事に出たまま行方が分からなくなっていた近所の77歳の女性であることが判明。
「当時、担架で遺体が運ばれるのを見ていたが、シートの下にあるのは人間が寝ている形をしていなかった。この辺は冬場にはエゾシカが大量に出てくるから、それを獲物にしているクマではないか。クマは柔らかければ太腿の骨まできれいに食べちまうんだ」(近隣住民男性)
記者が現場の避難路を上がろうとすると、この男性から「ヒグマがいるかもしれねえから」と制止された。
なお、道立総合研究機構が遺体に付着したクマの毛などを採取してDNA鑑定を行った結果、このクマはオスだと判明している。
ヒグマの強烈な食物への執着心
その1年後の昨年7月には、白符からさらに約10キロ先にある北海道南端の松前町白神の山林内で、82歳の男性と78歳の女性の夫婦がヒグマに襲われた。畑でジャガイモやスイカの栽培を行い、シカなどの獣害対策で周囲には高さ1.2メートルの防風ネットを設置していたが、ヒグマがこれを踏み越えて侵入。まず逃げようとして転んだ妻が腕や顔をかじられ、気付いた夫が背後から金属製の棒で叩いたが通用せず、頭や腕を噛まれ、左目を失明するなど重傷を負った。なお、このクマの毛のDNAを調べたところ、前年に女性を死亡させたのとは別の個体だったことが判明している。
背景に見えてくるのは、ヒグマの強烈なまでの食物への“執着”だ。
福島町役場産業課の担当者が語る。
「クマが好きな食物の一つにコメがあります。このため町では農家を補助して田んぼの周辺に電気柵を設けています。獣の鼻先が触れるとビビッと電流を感じ、嫌がらせる効果があるのですが、それでもヒグマは田んぼの畦道を掘って下から侵入してしまう。掘られた場所まで電線を下しても学習能力があるので、また別の場所を掘って水稲を荒らします」
「昔は山の中に入ってもクマと出会うことはほとんどなかった」
今回の大千軒岳の現場についてはこう推測する。
「ヒグマはドングリ、コクワ、クルミ、クリなど時期によって違う木の実を食べますが、現場は山頂に近づくほど木の実も少なくなる。今はヒグマが冬眠に備えなるべく脂肪を貯めようとする時期です。登山道がエサ場と近くなってしまうなど、何か人を襲う条件があったのでは」(同前)
この担当者は、クマが出る恐れがあるところに行く際にはクマ鈴を携帯すること、そもそもそういう場所では単独行動をとらないことなどを対策として挙げた。
登山道入り口付近の住民女性が語る。
「昔は山の中に入ってもクマと出会うことはほとんどなかった。それが今では民家のすぐ脇のスモモの木を食い荒らしたり、食べ物の匂いがするからなのか、家屋の台所下の排水が流れるU字溝の中を漁ったりしています」
人とクマの接触が増えている背景
今回の事故に先立つ9月8日朝には、福島町内のするめ加工場にヒグマが侵入してするめを食い漁り、約20万円相当のするめが廃棄されている。
福島町では捕獲したクマの大腿骨、肝臓、臼歯を前出の道立総合研究機構に試料として提出し、個体の特定や食性の研究などに利用しているという。
同機構エネルギー・環境・地質研究所の釣賀一二三自然環境部長が、「研究所に送られてくる試料は今年、例年より確実に多い」としながら、ヒグマの出没数が増えている理由についてこう語る。
「1990年までは『春グマ駆除制度』でハンターが積極的にクマの生息域に入り駆除を行っていました。追われて生き永らえたクマは人への恐怖心や警戒感から近づかなくなり、かなり出没数が減っていた。また警戒感が薄いクマは捕獲されていました。人とクマの接触が増えている背景には、全道的にクマの分布が拡大していることが挙げられます」
謝った対応をすると、クマに食物と認識されてしまう
ヒグマの食性については次のように説明する。
「農作物の被害は一貫して増えています。夏場は(飼料用の)デントコーンの被害が特に多い。食べ物への執着心という意味では養蜂場に強い執着を持っており、電気柵を設置しても穴を掘って侵入する被害が多く出ています。ただ、一般的にクマは人を食べない。ヒグマは本来、草食性の強い雑食性です。知床などではサケ、マスを食べますが、ごく一部だと考えられています。エゾシカも、死亡している個体を利用する(食べる)ことが多い。人の被害の場合、ばったり遭遇して背を向けて逃げるなど誤った対応をして、クマに捕獲されて食物と認識されてしまうなど、何かのきっかけがあるのではないかと考えています」
――仮にヒグマが人など動物を捕獲したらどこから食べるのか。
「……まずは内臓からでしょうね。すっかり食べてしまう個体もある」
ヒグマと人間、生物としての力の差は圧倒的だ。出没地域での安全確保が求められる。
(「週刊文春」編集部/週刊文春Webオリジナル)